音源

Songs

太鼓田植唄

たいこたうえうた

太鼓田植歌

たいこたうえうた

歌詞

Lyrics

一、
いにしえのヤーハレナ 神代の昔アラサノサーサ
どのかいのヤーハレナ どのかいのヤーハレ
どのかいのヤーハレ いざなぎなみの鋒の露

二、
鋒の露ヤーハレナ 落ちればこの世のアラサノサーサ
島となるヤーハレナ 島となるヤーハレ
島となるヤーハレ それこそこの世の初めなり

三、
田の神のヤーハレナ 春正月はアラサノサーサ
歳の神ヤーハレナ 歳の神ヤーハレ
歳の神ヤーハレ 三月からは田の神よ

四、
田の神をヤーハレナ 今こそおろすよアラサノサーサ
どの窪にヤーハレナ どの窪にヤーハレ
どの窪にヤーハレ 三角の窪の窪隅に

五、
田の神をヤーハレナ おろしておいてアラサノサーサ
拝むにはヤーハレナ 拝むにはヤーハレ
拝むにはヤーハレ 三把の苗を手に持ちて

六、
恋しくばヤーハレナ 尋ねておいでよアラサノサーサ
米子までヤーハレナ 米子までヤーハレ
米子までヤーハレ 米子の街の真ん中に

七、
米子からヤーハレナ 大山お山にアラサノサーサ
何里あるヤーハレナ 何里あるヤーハレ
何あるヤーレ 大山お山に五里ござる

八、
大山のヤーハレナ お山に登るアラサノサーサ
何時登るヤーハレナ 何時登るヤーハレ
何時登るヤーハレ 朝垢離取りて今朝登る

九、
大山のヤーハレナ 横手の空でアラサノサーサ
舞う霧はヤーハレナ 舞う霧はヤーハレ
舞う霧はヤーハレ 米子にさがりて雨となる

十、
大山のヤーハレナ 横手の空にアラサノサーサ
立つ笹はヤーハレナ 立つ笹はヤーハレ
立つ笹はヤーハレ 諸国の牛馬の護符の笹

基本情報

Metadata

伝承地1)哲西 2)哲西大野部
伝承者1)唄・太鼓 岡崎喜代一・囃子 野崎松代 岡崎マツヨ 2)岡崎喜代一・囃子 野崎松代、岡崎マツヨ
年代1)1982 2)1987~1988
録音者2)横山孝史、立石憲利
詞型本節(上)5755,(下)575

解説

Commentary

太鼓田植は、古くは田楽(でんがく)として平安時代から伝えられるものとされる。田植歌は、田の神への豊作祈願(ほうさくきがん)の意を込め、地区の共同労働の習俗と結びあって発達した。昭和30年(1955)頃まで神郷地区や哲⻄町地区では田植歌が聞こえた。早朝、牛を使って田を均等にならし(しろかき)、さらに柄(え)ぶりを使って平(たい)らにする。その後、太鼓を打って音頭をとる人を「サゲ」と呼び、帯で体の前に支えた太鼓を両手のバチで打ちながら唄うと、早乙女(さおとめ)がこれに和(か)し、苗を植える。唄は、「朝のうた」からはじまり、続いて「田の神」、「大山登り」となり、昼が近づくと「昼前のうた」となる。午後は、「酒つくり」、「京のぼり」、「田主(たぬし)のやかた」等が唄われ、「夕方のうた」を唄い終わると一日の作業も終了する。
「にいみデジタル博物館」より


太鼓や歌の囃子に合せて共同で田植えをし、併せて鳥取県にある名峰伯耆大山の牛馬守護信仰を背景に農作業で使った牛馬の供養も行う行事である。

楽器や歌で囃す田植は平安時代の『栄花物語』などにみらる。

田植え唄の伝統は韓国、中国、東南アジアをはじめ、労作唄として広く歌われている。

新見哲西の高齢者いわく、囃し田は昔、男女の出会いの場でもあり、田植えをする早乙女の手際の良さを見比べて、嫁を探す者たちは品定めをしていたそうだ。げんに、早乙女のタスキや帯の色は既婚者と未婚者とに色分けされていた、とのこと。嫁さだめの第一条件に「手際の良さ」を重視したのは、家での仕事をまかせた時のためであり、やはり働き者が好まれた。
新見では盆踊りにも「田植え踊り」として踊られている。


哲⻄の太鼓田植

岡山県重要無形⺠俗文化財に指定されている。

昔は田植えが近づくとどの家もタウエゴを用意したもので、とくに娘や新嫁は紺絣(こんすがり)の着物や赤いおこし(腰巻き)を新調した。また帯の一部にも美しい布などをつけて飾り、赤だすき・手拭い・脚絆(きゃはん)にいたるまで気を配った。こうして盛装した早乙女たちは、サゲ(左肩から下へ帯で太鼓をつり支え、太鼓を打ちながら音頭をとる男)の打つ太鼓に合わせて唄を歌いながら苗を植えたもので、これを大田植えとか太鼓田などと呼んでいる。

ところで奥備中の⻄北部地方(とくに荒戶山麓周辺)では田植えを始める前にサンバイオロシの行事を行う。サンバイオロシというのは三角形に近い小さな田んぼ(三角みすまのクボ)を選び、代かきがすむと栗の枝とカヤの穂をそれぞれ十二本(閏年十三本)合わせ束ねて竹か木にしばりつけ、これを田んぼの一角に立てて森をつくる。そして森の横には苗三把をおき、飯や神酒などを膳にのせて供えたあと、早乙女はこの苗を取って十二株(閏年は十三株)植える。

田植え唄は普通、太鼓を入れるのと入れないのとがあって、例えば山田のような狭い田んぼでは太鼓を入れなかったという。しかしいずれにしても田植え唄は、田植え作業の変化に伴ってしだいにすたれ、サンバイオロシの行事とともに昭和三十年ごろから姿を消してしまった。
「奥備中の⺠謡」

Not Found 楽曲が再生されるのを待っています #新見 #盆踊り
00:00
00:00