
大佐の特徴
About the Oosa

新⾒市北東部。北は⿃取県⽇野町、新庄村、東に岡⼭県真庭市と境を隔てる。⼤佐⼭は標⾼988mの⼭で、旧⼤佐町のシンボルである独⽴峰。
古くは⼩坂部郷と呼ばれ、同名の荘園も存在していた。江⼾時代には初期に幕府領や松⼭藩領であった時期もあるが、⼤半を旗本⽔⾕⽒の所領であった。中⼼地区の刑部は⼭陽と⼭陰を結ぶ街道の宿場町として発展。近世から明治の初期には砂鉄や製鉄⽤薪炭を産し,和⽜や駄⾺の飼育も⾏なわれた。
「⼤佐北部⼤井野では、隠岐にご配流となられる後醍醐帝が、この地でお⾷事をされ、その時に⾷卓がわりに使われたという⽯が残り、御飯⽯と呼ばれている。その時、⽼婆がワラビを料理して差し上げたところ、帝はことのほかお喜ばれ歌をお詠みになられた。
かはづ啼たつ⽥が池の⼣霧にきかましものは松⾵の⾳
すると蛙はぴたりと鳴くのを⽌め、以後、この地では蛙すら帝を憚って、その声を聞くことは無くなった。後世、村⼈たちは帝の遺徳を偲び、後醍醐神社を建⽴した。」
岡⼭アウトドア読本より
民謡の特徴
Features of Folk Songs
盆踊り愛が強く、中⼼部での盆踊りでは現在も沢⼭の家族が集まる。「昭和55年までは3夜⽇連続やっていた」そうだ。
⼤佐の「てんがらこ」では、新⾒で唯⼀「ヨー、ホイナー」で⼝説きがはじまり、囃⼦も新⾒全域で通常の「アラサコラサ」の中囃⼦の他、「扇踊り」に囃⼦⽂句が似た「アーリャサーヨイヤセー」が後囃⼦にくる。新⾒の他の「てんがらこ」に⽐べ、語りよりも唄に抑揚がありメロディアス。祭りでは終盤にさしかかり早くなり盛り上がる。⼤佐の北に位置する新庄村の「てんがらこ」と似ている。
また、新⾒では唯⼀、「⽟藻前曦袂道春館の段(たまものまえあさひのたもとみちはるやかたのだん)」という⾮常に難解な浄瑠璃を好んで⼝説く。
⽟藻前曦袂:浪岡橘平・浅⽥⼀⿃等合作。宝暦元年(1751)豊⽵座。謡曲「殺⽣⽯」の王藻前の伝説を中⼼として、お伽草⼦「鶴の草⼦」の神仙譚を織り込んだものである。また、⿅島品代(しなよ)さんが残した「安来節(さんこ節)」に関しては他の盆踊りに対しても珍しい。⿅島さんは真庭久世の出で、明治39〜40年⽣まれ。「この歌も⼤昔から歌われていた」とお孫さんは語る。現在この難しい曲⽬は踊られていない。