
神郷の特徴
About the Shingo

新⾒市の北⻄部にあり、北は⿃取県⽇南町、⻄は広島県東條町に接する。北部には⾼瀬鉱⼭跡があり、昭和終期までクロムを産出していた。古く良質砂鉄の採取地で釜地区はたたら製鉄の中⼼であった。中国⼭地の標⾼700〜1000メートルの⼭々に囲まれ、町域の90%以上は⼭林地帯。親⼦孫⽔⾞で有名。「神代和紙」の産地。
「神代(こうじろ)和紙は、岡⼭県新⾒市神郷(しんごう)下神代(しもこうじろ)地区で漉かれていた和紙です。岡⼭県通史に、新⾒は“帰化⼈の開いた⼟地”という意味があると書かれてます。このことから、帰化⼈によって下神代に早くから製紙の技術が伝わったのではないかと考えられています。
紙漉きの歴史を紐解くと、伊勢神宮(内宮)の神領だった平安時代までさかのぼります。下神代には、地理的に神領家への物資の輸送や市場への輸送や⼈々の出⼊りなどに便利なことから「政所(まんどころ)※事務全般を⾏う場所」がありました。ここから神代和紙は献上品として、伊勢の国へ運ばれていたということです。」
神代和紙保存会
民謡の特徴
Features of Folk Songs
神郷太⿎⽥植は県の無形⽂化財である。神郷の南と北でも盆踊りに差異があり、北部⾼瀬のものは境を供する⿃取、広島北東部、⼜は島根奥出雲と同じ演⽬がある。またここで歌われる「⾚猫⼝説き」は新⾒市内でも⾼瀬のみで⼝説かれている。(神郷南部の盆踊りでは「忠⾂蔵数え⼝説き」「お雪⼜七」などの珍しい演⽬が残る。)以下に神郷⾼瀬の「⾼勝盆踊り」について引⽤したい。
「盆踊りのこと・・・現在⾼瀬地⽅で⾏われている盆踊りは⾼勝盆踊りといって、伝承では起源は相当古く天正年間であり、天正年間といっても1573年から1591年まで続き、はっきり天正何年であるかはわからない。
伝承では天正3年1575年の勝ケ城主に安原彦左衛⾨吉⺠部という⼈があり、この⼈は⽑利⽒に属しており、当時⾼瀬村に⼤悪疫が流⾏して困りはて、ちょうど⾼瀬の梅⽥に⻲の形をした⻲尾という平地の中島があり、ここに12神を祀り権現様とした。これが現在の⻲尾神社である。(その時⽑利⽅の名主達が協⼒したので、名頭10名となって宮座の式が⾏われ現在に⾄る。その頃五穀豊穣も祀願し、この盆踊りが始まった。)⼀⽅、⾼瀬村の平稔祀願のため盆踊りを起こしたと伝えられる。これが現在まで続いているのであり、約400年以上前のことである。」四⽊覚(さとる)⽒の覚書より
また、神郷の頭打ち(かしらうち)の⾳源「当屋の部」は歌があり、ハーモニーもおもしろく重要である。(新⾒市での頭打ちは現在掛け声のみで歌の⽂句はない。)