音源

Songs

哲西木挽唄

てっせいこびきうた

歌詞

Lyrics

ヤーレ 何の因果で木挽を習うた
花の盛りを山小屋で
ヤレヤレ木挽をヨー習うた
花の盛りを山小屋で

ヤーレ 花の盛りを山小屋で木挽
いつが花やら つぼみやら
ヤレヤレ木挽をヨー習うた
いつが花やら つぼみやら
ヤーレ山は焼いても山鳥逃げぬ
なんの逃げましょ子を捨てて
ヤレヤレ山鳥よう逃げぬ
なんの逃げましょ子を捨てて

ヤーレ大工さんより木挽が憎い
仲の良い木を挽き分ける
ヤレヤレ木挽がヨー憎い
仲の良い木を挽き分ける

基本情報

Metadata

伝承地新見
伝承者唄 白瀬真志 尺八 中川右汎 囃子 米谷豊彦 木戸靖昭
年代1982
詞型7775/8575

解説

Commentary

⺠謡の一つ。木挽職人が鋸(のこぎり)で木材を挽くときにうたう歌。中に鋸のリズムを思わせる囃詞(はやしことば)がある。

こちらも1975年〜1982年ごろ、尺八の中川右汎(本名=通夫)さんが編曲されたものとも思われる。中川さんは小澤秋月さんの弟子にあたる。1935年満州で生まれ2003年に他界。

大正2年、18才になった上神代の加藤竹次郎さんは、上手な木挽について修業した。同氏の話によると、鋸の重さ6kg、巾21cm、⻭口の⻑さ45cm(36枚)という大きなものを動かす重労働なので、1升飯を食わねば腹に力が入らなかった。元気なときは1日に松板3間半、杉板4間半を挽き、賃銭は28銭だった。

当時米は一升10銭5厘位だったが、後15銭になったので、その頃輸入された印度米を半分入れて食べた。
木挽はけずりが2年間、木挽2年間、合わせて4年間親方について習わなければ、1人前になれなかった。また師匠離れをしても礼奉公をさせられた。

そのころは千屋上市唐松・鷹の巣など官林が多く、何日も山の中に入って大きな木を削ったり挽いたりした。昭和4年頃、八鳥の児山覚さんが移動製材をはじめたので、木挽きの仕事はしだいになくなった。
「哲⻄の⺠謡1」より

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