音源
Songs
砂かき「鈴木主水橋本屋白糸口説き」
すなかき「すずきもんど はしもとやしらいとくどき」
砂かき
すなかき
歌詞
Lyrics
砂かき
私しやナー旅者通りがけの者チョイトチョイ この場に立寄りお邪魔でござる
サーヨイトサッサーヨイトサッサー(以下同)
私しゃナー当所がはじめでござる
当所お作法はよく知らねども
一つ拾いたる其豆に
土がつかいぢゃかのやせぬ
二つ踏んだる其豆が
平にならいぢゃかのやせぬ
三つ味噌屋の其豆は
色がつかいぢゃかのやせぬ
四つよったる其豆に
くずがあってはかのやせぬ
五ついったる其豆は
腹が切れいぢゃかのやせぬ
六つむいだる其豆に
皮があってはかのやせぬ
七つなったる其豆に
さやがつかいぢゃかのやせぬ
八つ焼いたる其豆に
灰がつかいぢゃかのやせぬ
八つ買うたる其豆に
金が入らいぢゃかのやせぬ
十でとぎたる其豆に
ごみがあってはかのやせぬ
鈴木主文橋本屋白糸くどき
花のお江戶のその側らに、聞くも珍らし心中ばなしアラサッコラサッ 所は四ツ谷の新宿町よ、紺の暖簾に桔梗の紋はアイサッコラサッ(以下同)音に聞えし橋本屋とて、あまた女郎衆のあるその中に、※お職女郎の白糸こそは、年は十九で当世育ち、愛嬌よければ皆人さんが、我も我もと名指して上る、別けてお客はたれぞと聞けば、春は花咲く⻘山辺の、鈴木主水という待よ、女房持ちにて二人の子供 五ツ三ツは悪戯ざかり 二人子供のそのある中で、今日も翌日もと女郎買いばかり、見るに見かねて女房のお安、ある日我が夫主水に向い、これさ我が夫主水様よ、わたしゃ女房で嫉くのぢゃないが、子供二人は伊達には持たぬ、十九や二十の身じゃあるまいし、人に意見もいう年頃に、止めておくれよ女郎買いばかり、金のなる木を持ちゃさんすまい、どうせ切れるの六段目には、連れて逃げるか心中するか、二ツ一ツの思案と見える、しかし二人の子供が不憐、子供二人とわたしの身をば、末はどうする我夫様よ、いえば主水は腹立ち顔で、なんの小癪な女房の意見、己が心で止まないものを、女房だてらの意見じゃ止まぬ、愚痴な其方より女郎衆が可愛い、それがいやなら子供を連れて、其方のお里へ出て行かしゃんせ、愛想づかしの主水のことば、そこで主水はこやけになりて、出でて行くのが女郎買い姿、お安それ聞き悔しさまして、いかに男は我侭ぢゃとて、死んで見せようと覚悟はすれど、二人の子供についひかされて、死ぬにゃ死なれず歎いておれば、五ツなる子が側へと寄りて、これさ母さんなぜ泣かしゃんす、気色悪るけりゃお薬あがれ、どこぞ痛くばさすってあげよか、坊が泣きます乳くだしゃんせ、言えばお安は顔ふりあげて、どこも痛くて泣くのじゃないが、あさなけれどもよく聞け坊や、あまり父様身持がわるい、意見いたせば小癪な奴と、たぶさ摑んで打擲なさる、さても無念の夫の心、自害しようと覚悟はすれど、跡に残りしわれ等が不愍、どうせ女房の意見じゃやまぬ、さればこれから新宿町の、女郎衆たのんで意見をしようと、三ツなる子を背中に背負い、五ツなる子の手を引きまして、出て行く姿のさもあわれなる、行けば程なく新宿町よ、店の暖簾は橋本屋とて、見れば表に主水の草履、それと見るより新造を招き、妾は比方の白糸さんに、どうぞ会いたいあわせておくれ、アイと新造は二階へ上り、これさ姉さん白糸さんよ、どこの女中か知らない方が、なにかお前に用ありそうな、会うてやらんせ白糸さんと、いえば白糸二階をおりて、妾を尋ねるお女中と言うは、お前さんかえ何用でござる、言えばお安ははじめて会うて、妾は⻘山主水が女房、お前見かけて頼みがござる、夫の主水は勤めの身分、日々の勤めを疎にすれば、末はご扶持に離るる程に、ここの道理をよく聞き分けて、何ぞ我夫主水殿に、意見なされて白糸さんよ、せめてこの子が十にもならば、晝夜あげづめなさりょうとままよ、または妾しが去られた後で、お前女房にならんすとても、どうぞこの後主水殿が、三度来たなら一度はあげて、二度は意見をしてくだしゃんせ、言えば白糸言葉に詰まり、妾しゃ勤の身の上なれば、女房もちとは夢にも知らず、ホンニ今まで懇親なれば、さぞや憎かろお腹も立とう、わたしもこれから主水様に、意見しましょうお帰りなされ、言うて白糸二階へあがる、あとで二人の子を引き連れて、お安は我が家へ引帰りける、ついに白糸主水に向い、お前女房が子供をつれて、妾に頼みに来ました程に、今日はお帰りやめては済まぬ、言えば主水は莞爾と笑い、置いておくれよ久しいものだ、ついにその日は居続けなさる、待てど暮らせど帰りもしない、お安子供を相手にいたし、もはやその日は早や明けたれば、支配方より使がありて、主水身持ちがふらちぢゃ故に、扶持も何かも召上らるる、後でお安は途方に暮れて、あとに残りし子供が不憐、思案しかねて当惑いたし、扶持にはなれて永らく居れば、馬鹿なたわけと言われるよりも、武士の女房じゃ自害をしようと、二人子供を寝かせて置いて、硯とり出し墨より流し、落つる涙が硯の水よ、涙止めて書置いたし、白い木綿で我が身を巻いて、二人子供の寝たのを見れば、可愛い可愛い児にひかされて、思いきり刃を逆手に持ちて、グッと自害の刃の下に、二人子供は早や目をさまし、三ツなる子は乳にとすがり、五ツなる子は背中にすがり、コレサ母さんノーウ母さんと、幼な心で早や泣くばかり、主水それとは夢にも知らず、女郎屋立ちいでほろ酔い気嫌、女房ぢらしの小唄で帰り、表口より今帰ったと、子供二人が駆け出でながら、モウシ父様お帰りなるか、何故か母さん今日に限り、言も言わずに一日お寝る、ホンに今まで悪戯したが、御意は反かぬノウ父様よ、何卒託してくださりませと、聞いて主水は驚きながら、あいの唐紙サラリと開けて、見ればお安は血潮にそまる、俺の心が悪いが故に、自害したかよ不憫なことよ、涙ながらに二人の子供を、膝に抱きあげ可愛や程に、何も知るまいよく聞け坊や、母はこの世の暇じゃ程に、言えば子供は死骸にすがり、モウシ母さん何故そうなさる、坊や二人は何うしましょうと、歎く子供を振り捨ておいて、且那寺へと急いて行く、戒名賞うて我家へ帰り、哀れなるかや女房の死骸、莚に包んで背中に負うて、三ツなる子を前にと抱え、五ツなる子の手をひきながら、行けばお寺で葬りまする、ぜひもなくなくわが家へ帰り女房お安のかき置見れば、あまり勤めの放埓故に、扶持も何にかも取り上げられる、其の上門前払いと読んで、偖も主水は仰天いたし、子供泣くのをそのまヽおいて、急ぎ行くのは白糸方へ、これはお出でか主水様よ、したが今宵はお帰りなされ、言えば主水はそれ物語る、襟に懸けたる戒名出して、見せりゃ白糸手に取り上げて、妾の心が悪いが故に、お安さんへも自害をさせた、さらばこれから三途の川も、手を引きますぞえお安さん、言えば主水は暫しととどめ、俺もお前と情死をしては、親方さんへ言い訳たたぬ、お前死なずに永らへさんせ、二人子供を成⻑させて、回向頼むよ主水様と、言うて白糸一と間へ入りて、数多朋輩女郎衆を招き、ゆづり物とてくしこうがいを、やれば小春は不思議に思い、これさ姉さんどうした訳か、今日に限ってゆづりを出して、夫にお顔もすぐれもしない、言えば白糸よく聞け小春、わしは幼き七つの年に、人に売られてこの廓で、つらい勤めも早や十二年、勤めましたよ主水様に、日頃三年懇親したが、今度妾し故ご扶持に離れ、またも女房に自害をさせて、それで妾が永らえ居れば、お職女郎の意気地が立たぬ、死んで意気地を立てねばならぬ、早くそなたも身ままになって、妾しが為にと香花頼む、言って白糸ひと間へ入り、口の中では只独言、涙ながらにノウお安様、妾故にと命を捨てて、嘸やお前は無念であろう、死出の山路も三途の川も、共に妾が手を引きましょと、南無という声この世の別れ、あまた女郎衆のあるその中で、人に情の白糸さんが、主水様故命を捨てる、名残り惜しげに朋輩衆が、別れを惜しみてなげくも道理、今は主水も詮方なさに、忍び密かに我が家にかへり、子供二人にゆずりをおいて、すぐにそのまま一室に入り、重ね重ねの身の誤りに、我と我身一生すてる、子供二人は取残されて⻄も東もわきまえ知らぬ、おさな心のあわれな者よ、あまた情死もあるとはいえど、義理を立てたり、意気地を立てて、心会うたる三人ともに、聞くも哀れなばなしでござる。
「哲⻄の⺠謡」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西 |
|---|---|
| 伝承者 | 1)賀島勝安 2)北原寿、藤村信子 |
| 年代 | 2)2002/8/1 |
| 録音者 | 2)哲西町教育委員会、哲西町盆踊り保存会 |
| 詞型 | 1)7777 |
解説
Commentary
鈴木主水(すずきもんど)
江戶後期の武士。江戶⻘山百人町に住み、妻と二人の子があったが、享和元年(一八〇一)、内藤新宿橋本屋の遊女白糸と情死したと伝えられる。その事件を素材に作られた唄が幕末に流行唄となり、瞽女(ごぜ)唄や盆踊唄にはいり、戯曲化された。
信濃国上田城主・真田昌幸の家臣として、上野国名胡桃城の城将を務めたとされる人物。真田信之(信濃国上田藩初代藩主)の家臣であった鈴木忠重(右近)は、鈴木主水の子とされる。
『加沢記』などの軍記物には下記のように記されている。
名胡桃城(真田昌幸領)の城将であった鈴木主水[注釈1]は、天正17年(1589年)に猪俣邦憲(上野国沼田城〈後北条氏領〉の城将。真田昌幸と敵対していた後北条氏の、上野国方面指揮官である北条氏邦の家老)によって名胡桃城を奪われた(名胡桃城事件と呼称される)。鈴木は後北条氏に偽って降伏し、隙を狙って猪俣を殺害しようと企み、沼田城下の正覚寺(群馬県沼田市に現存)に逗留したが、企図が発覚して同寺で自決した。
名胡桃城事件は、翌年の天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐、後北条氏の滅亡の直接の原因となった。
しかし同事件の経過を具体的に伝える一次史料は存在せず、詳細は不明である。
そして「鈴木主水」に言及した一次史料が存在しないため、「鈴木主水」なる人物の詳細、「鈴木主水」なる人物の実在は不明である。「鈴木主水」が自決したとされる正覚寺には「鈴木主水の墓」と伝わる墓が存在するが、別人の墓ではないかという指摘を受け、かつて設置されていた案内板は撤去されている。
砂掻き(または、さんこ)
新見市の盆踊りの中で一番軽快なナンバー。
踊りの中に足で砂(地面)を後ろに掻く動作があるためという説がある。古い型のさんこ節※から派生したのではとも考えられている。
※淀江さんこ節の起源は諸説あるが、淀江は古くから港町として栄え、北前船で寄港した船乗り衆が歌う各地の⺠謡と、淀江古来の⺠謡が融合して誕生したと言われている。幕末から明治にかけて、港町淀江の酒席で大流行した郷土⺠謡で、三味線・太鼓などに合わせて賑やかに歌われ、七七七五調の歌詞は今もなお、古い調べを残している。やがて、軽快な曲のテンポに合わせて、左官さんが土壁を塗りあげる情景を滑稽に演じる仕種踊り「壁塗りさんこ」が踊られるようになり、酒席だけでなく、棟上げや結婚などの祝宴でも披露されるようになったと考えられる。その後、和傘の産地としても知られる淀江では「傘踊り」「銭太鼓」も取り入れられてきた。淀江さんこ節はお座敷唄だけでなく、盆踊り唄、子守り唄、田植え唄などもあったと伝えられ、労働歌としての側面も持つ唄と言える。
鳥取伝統芸能アーカイブス