音源
Songs
向う通るは吉さじゃないか
むこうとおるはきちさじゃないか
歌詞
Lyrics
(明治24年頃)
向う通るは吉さじゃないか
鉄砲かついで脇差さして
馬に乗りかけ馬から落ちて
竹の切り株の手の裏さいて
医者にかけよか眼医者にかきょか
医者も眼医者もご無用でござる
わしが若けりゃあの山こうえてこの山こうえて
向う河原にちょろりと降りて
けっこうなけっこうな小石をひろて
砂で磨いてやすりをかけて
紙に包んで みところしめて
おばのたもとにそろりと入れる
おばの心にゃ金かと思うた
これが金なら帯買うてさせる
これは金ではない石じゃもの 石じゃもの
ちょっと百ついた また百ついた
(帯にゃ短いたすきにゃ長い
こんど生れたややのひも ややのひも)
「哲西の童歌」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西町川南 |
|---|---|
| 伝承者 | 賀島飛左 |
| 年代 | 1964/7/26 |
| 録音者 | 名越軍治 |
解説
Commentary
手まり歌の中に登場するこの男性は、あるいはかつての娘たちのあこがれの姿を示しているのかもしれない。粋な伊達男と映る、鉄砲撃ちの若者を主人公とするこの類の歌を、筆者は島根ではかなり採集した。
鳥取県に伝わる⺠話・わらべ歌・労作歌などを、それを収集された酒井董美(ただよし)先生(元鳥取短期大学教授・口承文芸研究者)
小唄でも「向こう通るは〜」という出だしは普及している。
お夏(むこう通るは)
本調子
むこう通るは
清十郎じゃないか
笠がよう似た菅笠が
中をのぞいて
袖ひきとめて
思いのたけを夕月や
風よりほかに訪(と)う人も
啼いて過ぎゆく
夫婦雁
寛文二年(1662)悲恋の物語が唄の大本になっています。
「清十郎」は室津の造り酒屋の息子。
何不自由もなく育った美⻘年です。
訳あって、19歳の時姫路本町の米問屋但馬屋に奉公に出されますが、いつしかそこの美しい娘「お夏」と恋仲になってしまいます。
しかし、二人の恋は許されず、思い余って大坂へ駆け落ちを計ります。
二人は捕えられ、清十郎には盗みの濡れ衣までかけられて、25歳の若さで処刑されてしまいます。
お夏は悲しみのあまり狂乱し、清十郎の姿を求めて町をさまよい歩くのでした。
さて、この物語がなぜ有名なのかと言いますと、井原⻄鶴の「好色五人女」の第一話「姿姫路清十郎物語」で発表。
近松門左衛門が物語の50年後に「お夏清十郎五十年忌歌念仏」世話物として宝永六年(1710)正月竹本座で人形浄瑠璃として上演。
明治時代には坪内逍遙の舞踏劇「お夏狂乱」時代時代に色々な形で演じられ、唄われ全国に広く知られるようになりました。
小唄では
大正三年(1914)に帝国劇場で発表されたのがこの唄です。
作詞:坪内逍遥
作曲:常磐津文字兵衛
この小唄では清十郎が処刑された事で発狂してしまい、彷徨い歩くお夏の様子が歌われています。
そこを歩いているのは清十郎じゃないか?
良く似た菅笠じゃないですか!(菅笠はどれも似てます)
笠の中をのぞいて、袖を引きとめて歩きまわるお夏。
夕月を見ながらも清十郎への想いが込上げる。
風しか私(お夏)を訪れる事がない。
仲睦まじいつがいの雁が泣きながら通り過ぎて逝く姿すら羨ましい。
WEB着物狂いより