音源
Songs
うちの娘は伊達者で困る
うちのむすめはだてしゃでこまる
歌詞
Lyrics
(明治20年ごろから)
うちの娘は伊達者でござる
京で帯買うて大阪でくけて
くけたくけ目に七房八房
しゃんとと結んでとんと叩いて背中にまわし
どこに行こうか 花見に行こうか
そこでカカさん呼び止めなさる
花見行くのは止めるじゃないが
花見が__で乱れちゃならぬ
言うて聞かせて 花見に行けば
花見和衆に抱きしめられて
あがにしゃんすなこの帯切れる
帯の切れたの大事にゃないが
わしの帯にはくどきがござる
くどきあるならくどいて聞かせ
梅に鴬もろもろ雀
羽をそろえてたつところたつところ
ちょっと百ついた また百ついた
「しゃんと結んで花見に出たら」の次は「大阪若衆」 とか 「町所の若衆」ともいう。
「哲西の童歌」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西町川南 |
|---|---|
| 伝承者 | 賀島飛左 |
| 年代 | 1964/7/26 |
| 録音者 | 名越軍治 |
解説
Commentary
かねつけ(鉄漿付)は、お歯黒ともいった。女が歯を黒く染めることである。かねは、「いろり」端に「かねつぼ」を置き、お茶や、水を入たものに焼いた鉄屑を火ばしで放り込み、しばらく放置し、別な器に入れた五倍子の粉をまぶして、小さいはけ(筆を代用)で歯につける。幾度も繰り返してつけるうちに、黒光りに染め上る。
そのにおいはお歯黒臭く、ヘドが出るほどだったそうである。この風習も明治以後は法令によって廃されたが、大正の終り頃まで行なわれた。備中町史によれば、昔は16、7でカネツケをし、子供が出来ると眉を落とした。外出の前の晩フシの粉を留粉にして、カネツケをしたという。鉄漿付の際は鉄漿親(かねおや)と云って、仮親どりをするところも広く、鉄漿親は、かねつけ道具として、鉄漿沸し壺、ふし粉を入れる壺、筆2本、8寸に6寸のせきぶたの黒塗り箱などを、「かなむすめ」に贈り、「つけぞめ」をする。鉄漿親と鉄漿子の関係は、男の子の鳥帽子親(えぼしおや)と鳥帽子子の関係と同じで、生涯の相談相手になり、鉄漿親の死には水持ちになって、実の娘同様の義理をつくすという。(百科辞典)「かなおや」は「鉄漿親(かねおや)」がなまったものではないか。
「哲西の童歌」より