音源
Songs
砂かき「平井権八小紫くどき」
すなかき「ひらいごんぱちこむらさきくどき」
歌詞
Lyrics
私しやナー旅者通りがけの者チョイトチョイ この場に立寄りお邪魔でござる
サーヨイトサッサーヨイトサッサー(以下同)
私しゃナー当所がはじめでござる
当所お作法はよく知らねども
一つ拾いたる其豆に
土がつかいぢゃかのやせぬ
二つ踏んだる其豆が
平にならいぢゃかのやせぬ
三つ味噌屋の其豆は
色がつかいぢゃかのやせぬ
四つよったる其豆に
くずがあってはかのやせぬ
五ついったる其豆は
腹が切れいぢゃかのやせぬ
六つむいだる其豆に
皮があってはかのやせぬ
七つなったる其豆に
さやがつかいぢゃかのやせぬ
八つ焼いたる其豆に
灰がつかいぢゃかのやせぬ
八つ買うたる其豆に
金が入らいぢゃかのやせぬ
十でとぎたる其豆に
ごみがあってはかのやせぬ
平井権八小紫くどき
爰に過ぎしに其物語、国は山陰その名も高き、武家の家老に一人の悴、平井権八直則こそは、犬の喧嘩が遺恨となりて、同じ家中の本庄氏を、討って立ち退き東をさして、下る道にて桑名の渡、僅かばかりの船賃故に、数多の船頭に取り囲まれて、既に危きその折からに、是を見兼ねて一人の旅人、平井助けて我家へかえる、是れは名に負う東海道に、その名熊たか山賊なるが、夫と権八夢にも知らず、其の家内にゃ美人がござる、名をば⻲菊蕾の花よ、見れば見るほどおとなしやかで、其夜権八が寝間へと忍び、モーシ若さん侍さんよ、此家の主人は盗賊なるよ、知って泊るか知らずであるか、今宵のお命危うでござる、妾しも三河で富豪の娘、去年の暮れからこの家に捕られ、永の月日を涙で暮す、故郷こいしやサゾ両親が、案じさんすであろうと思う、お前見掛けてお頼み申す、何うぞ情ぢゃ後生じゃ程に、妾を連れ立ち此家を逃げて、故郷三河へ送りてたべと、口説たてられ権八ことは、流石よしある侍なれば、その訳柄を残らず聞いて、さらば此の家の主人を始め、手下盗賊皆切殺し、お前故郷へお連れ申す、二人密かに約束堅め、娘⻲菊立ち出でゆきやる、夫れと知らずに熊鷹張本、手下数多にささやきけるは、今宵泊めたる若侍の腰にさしたる二腰こそは、⻩金作りで名作物よ、二百両から先への物じゃ、彼れを歎き連れ来りしは、それを奮うは心のたくみ、奥の座敷に寝かしておいた、最早時刻も夜半の頃よ、奥の一間に切り込みければ、兼ねて権八心得あれば、夫れと平井は抜く手も見せず、主人熊鷹手下の奴等、終に残らず皆切り殺し、そこで⻲菊手を引き連れて、慣れし三河の矢矧の⻑者、一部始終の咄をいたす、⻑者夫婦はよろこび勇み、何うぞ我家の婿にもせんと、勧めけれども権八どのは、猶ほも仕官の望みもあれば、⻑者夫婦に断り云うて、暇乞いして立たんとすれば、今は⻲菊詮方なみだ、ぜひもなくなく金とり出して、心ばかりの餞別なりと、云えば権八気の毒顔に、志ざしとて頂き納め、花の東に急がれる、行けば程なく川崎宿の、音に聞えし万年屋とて、爰にしばらく御休みなさる、偖てもこれから品川までの、道は何里とお尋ねなさる、道は僅かに二里程なれど、鈴ヶ森とて難所がござる、夜毎夜毎に辻切りあれば、七ツ過ぎにも早やなりければ、今宵当所にお泊りあれと、云えど権八耳にも入れず、大小差す身はそれしき事に、恐れ泊ればあまたの人に、臆病未練の侍士なりと、永く笑われ恥辱の種よ、夫れは元より望みでござる、勇み進んで品川ゆきやる、偖ても平井の権八どのと、同じ茶屋に休んでいたる、花の東にその名も高き、男達にて幡随院の⻑兵衛、平井出て行く跡見送りて、流石侍士天晴ものよ、さらば若衆の手なみを見んと、跡に続いて⻑兵衛こそは、鈴ヶ森へと早や差し掛る、其夜其処にて権八どのは、兼ねて覚悟と山賊共を、大勢相手に火花を散らし、それと見るより⻑兵衛どのは、さらば助太刀いたさんものと、実にや仁王の荒れるが如く、切って廻われば山賊共は、雲を霞と逃げ行く跡に、⻑兵衛どのは平井に向い、お年若にも似合ぬ手並、恐れ入ったる働きなるぞ、俺も江戶にて名を売る男、御世話いたさん我家にござれ、云えば権八よろこび入りて、左らば今より兄弟分となれば、⻑兵衛が匿まいなさる、偖ても助七助八達は、親を打たれてその仇敵、平井権八打ち果さんと、是も東の花川戶にて、借家住居で二人の者は、花のお江戶を日毎にたずね、夫れと権八早くも悟り、忍び狙うて二人の者を、何の苦もなく殺して仕舞い、今は権八安堵の思い、心ゆるみし若気のいたり、花のお江戶の新吉原に、音に聞えし花扇屋の、小紫にぞ心をかけて、夜毎夜毎にお通いなさる、此や小紫素性を聞けば、三河矢矧の⻑者の娘、今は⻑者も落ぶれ果てヽ、娘⻲菊遊女に売られ、涙ながらに勤めをいたす、平井権八それとは知らず、初会座敷のその初まりに、何うか見たような顔付なりと、思う心が先とも通じ、いっそ可愛いお若衆さんと、思う座敷も早や引き過ぎて、床になったるその睦言に、さても互に顔見合せて、思っていたる以前のはなし、さては⻲菊権八さんか、一度別れて又逢うことは、先の世からの約束事よ、二世も三世もその先きまでも、変るまいとの互いの契り、それが悪事の起りとなりて、人を殺して金とる事が、夜毎夜毎に度かさなれば、毒を喰らわば皿までなりと、猶もつのりて中仙道は、音に聞えし熊谷土手で、上州絹売弥兵衛を殺し、百両あまりのお金を奮りて、猶も廓へ忍んで通う、悪事千里で権八身分、其りゃ恵方はお尋ね者よ、爰に目黑の虚無僧寺に、忍び入るとも厳しい詮議、今は天地に身の置きどころ、泣くに泣かれず覚悟を極め、お奉行所へと名乗りて出る、哀れなるかや権八事は、鈴ヶ森にとお仕置となる、偖も幡随院の⻑兵衛こそは、平井権八晒した首を、願い貰いて目黑の寺へ、埋め葬り回向をなさる、それと噂を聞く小紫、人目忍んで廓を出でヽ、晝も心は目黑の寺を、平井権八墓場の前に、乱れ初めにしその黑髪に、何んと白無垢死装束と、姿懐剣咽喉へと当てヽ、南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、二世を助けて賜われかしと、落つる涙は千種の露と、消えて浮名も比翼の塚と、今の世までもはなしに残る。
「哲⻄の⺠謡」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西 |
|---|---|
| 年代 | 1960年代ごろ |
| 録音者 | 名越軍治 |
| 詞型 | 7777 |
解説
Commentary
平井権八(ヒライゴンパチ)
[?〜1679]江戶初期の浪人。もと鳥取藩士。同僚を殺害して逃亡し、江戶へ出て悪事を働き、磔刑に処された。歌舞伎などに登場する白井権八のモデル。
白井権八は江戶に出て、吉原三浦屋の遊女小紫となじみ、その遊興の金のため、辻きりを働き最期には自首し、延宝7(1670)年20歳の若さで鈴が森で死刑に処せられた。
鶴屋南北作「浮世柄比翼稲妻」は、文政6(1823)年初演。通称「稲妻草子」「鈴ヶ森」「鞘当」はそれぞれ独立して上演される。
砂掻き(または、さんこ)
踊りの中に足で砂(地面)を後ろに掻く動作があるためという説がある。
古い型のさんこ節※から派生したのではとも考えられている。
※淀江さんこ節の起源は諸説あるが、淀江は古くから港町として栄え、北前船で寄港した船乗り衆が歌う各地の⺠謡と、淀江古来の⺠謡が融合して誕生したと言われている。
幕末から明治にかけて、港町淀江の酒席で大流行した郷土⺠謡で、三味線・太鼓などに合わせて賑やかに歌われ、七七七五調の歌詞は今もなお、古い調べを残している。
やがて、軽快な曲のテンポに合わせて、左官さんが土壁を塗りあげる情景を滑稽に演じる仕種踊り「壁塗りさんこ」が踊られるようになり、酒席だけでなく、棟上げや結婚などの祝宴でも披露されるようになったと考えられる。その後、和傘の産地としても知られる淀江では「傘踊り」「銭太鼓」も取り入れられてきた。淀江さんこ節はお座敷唄だけでなく、盆踊り唄、子守り唄、田植え唄などもあったと伝えられ、労働歌としての側面も持つ唄と言える。
鳥取伝統芸能アーカイブス