音源

Songs

てんがらこ「鈴木主水・橋本屋白糸くどき」

てんがらこ「すずきもんど はしもとやしらいとくどき」

歌詞

Lyrics

○アイサコリャ コリャコリャ待ちなされ
アイサコリァサ
○待てと声かけ失礼じゃあれど
今の音頭さんのたばこの間アイサコラサ
○少々ばかりの声継ぎまする
どうか皆さんよろしゅにゃたのむアイサコラサ
○今の音頭さんはいづこじゃどちら
声もよう出る節ゃうらやかにアイサコラサ
○今の音頭さんの声ほめましょか
四季の景色で申そうなればアイサコラサ
○春の景色であのほめるなら
梅の木小枝で鳴くうぐいすよアイサコラサ
夏の景色であのほめるなら
高い森木で鳴く蟬の声アイサコラサ
○冬の景色であのほめるなら
細谷小川で鳴くニナの声アイサコラサ
○笛か太鼓か胡弓か三味か
まだもほめればほめよがあれどアイサコラサ
○あまりほめればそしるにあたる
ちょいとここらでやめおきまする
アイサコラサ
○次の音頭さんにゃおゆずりまする
どうか音頭さんよ出て来ておくれアイサコラサ
○どうか出て来てつぎなされ
わたしゃやめますこの口かぎりアイサコラサ
○どうか踊る衆にお願いまする
どうか出て来て声継ぎなされアイサコラサ


鈴木主文橋本屋白糸くどき

花のお江戶のその側らに、聞くも珍らし心中ばなしアラサッコラサッ 所は四ツ谷の新宿町よ、紺の暖簾に桔梗の紋はアイサッコラサッ(以下同)音に聞えし橋本屋とて、あまた女郎衆のあるその中に、※お職女郎の白糸こそは、年は十九で当世育ち、愛嬌よければ皆人さんが、我も我もと名指して上る、別けてお客はたれぞと聞けば、春は花咲く⻘山辺の、鈴木主水という待よ、女房持ちにて二人の子供  五ツ三ツは悪戯ざかり  二人子供のそのある中で、今日も翌日もと女郎買いばかり、見るに見かねて女房のお安、ある日我が夫主水に向い、これさ我が夫主水様よ、わたしゃ女房で嫉くのぢゃないが、子供二人は伊達には持たぬ、十九や二十の身じゃあるまいし、人に意見もいう年頃に、止めておくれよ女郎買いばかり、金のなる木を持ちゃさんすまい、どうせ切れるの六段目には、連れて逃げるか心中するか、二ツ一ツの思案と見える、しかし二人の子供が不憐、子供二人とわたしの身をば、末はどうする我夫様よ、いえば主水は腹立ち顔で、なんの小癪な女房の意見、己が心で止まないものを、女房だてらの意見じゃ止まぬ、愚痴な其方より女郎衆が可愛い、それがいやなら子供を連れて、其方のお里へ出て行かしゃんせ、愛想づかしの主水のことば、そこで主水はこやけになりて、出でて行くのが女郎買い姿、お安それ聞き悔しさまして、いかに男は我侭ぢゃとて、死んで見せようと覚悟はすれど、二人の子供についひかされて、死ぬにゃ死なれず歎いておれば、五ツなる子が側へと寄りて、これさ母さんなぜ泣かしゃんす、気色悪るけりゃお薬あがれ、どこぞ痛くばさすってあげよか、坊が泣きます乳くだしゃんせ、言えばお安は顔ふりあげて、どこも痛くて泣くのじゃないが、あさなけれどもよく聞け坊や、あまり父様身持がわるい、意見いたせば小癪な奴と、たぶさ摑んで打擲なさる、さても無念の夫の心、自害しようと覚悟はすれど、跡に残りしわれ等が不愍、どうせ女房の意見じゃやまぬ、さればこれから新宿町の、女郎衆たのんで意見をしようと、三ツなる子を背中に背負い、五ツなる子の手を引きまして、出て行く姿のさもあわれなる、行けば程なく新宿町よ、店の暖簾は橋本屋とて、見れば表に主水の草履、それと見るより新造を招き、妾は比方の白糸さんに、どうぞ会いたいあわせておくれ、アイと新造は二階へ上り、これさ姉さん白糸さんよ、どこの女中か知らない方が、なにかお前に用ありそうな、会うてやらんせ白糸さんと、いえば白糸二階をおりて、妾を尋ねるお女中と言うは、お前さんかえ何用でござる、言えばお安ははじめて会うて、妾は⻘山主水が女房、お前見かけて頼みがござる、夫の主水は勤めの身分、日々の勤めを疎にすれば、末はご扶持に離るる程に、ここの道理をよく聞き分けて、何ぞ我夫主水殿に、意見なされて白糸さんよ、せめてこの子が十にもならば、晝夜あげづめなさりょうとままよ、または妾しが去られた後で、お前女房にならんすとても、どうぞこの後主水殿が、三度来たなら一度はあげて、二度は意見をしてくだしゃんせ、言えば白糸言葉に詰まり、妾しゃ勤の身の上なれば、女房もちとは夢にも知らず、ホンニ今まで懇親なれば、さぞや憎かろお腹も立とう、わたしもこれから主水様に、意見しましょうお帰りなされ、言うて白糸二階へあがる、あとで二人の子を引き連れて、お安は我が家へ引帰りける、ついに白糸主水に向い、お前女房が子供をつれて、妾に頼みに来ました程に、今日はお帰りやめては済まぬ、言えば主水は莞爾と笑い、置いておくれよ久しいものだ、ついにその日は居続けなさる、待てど暮らせど帰りもしない、お安子供を相手にいたし、もはやその日は早や明けたれば、支配方より使がありて、主水身持ちがふらちぢゃ故に、扶持も何かも召上らるる、後でお安は途方に暮れて、あとに残りし子供が不憐、思案しかねて当惑いたし、扶持にはなれて永らく居れば、馬鹿なたわけと言われるよりも、武士の女房じゃ自害をしようと、二人子供を寝かせて置いて、硯とり出し墨より流し、落つる涙が硯の水よ、涙止めて書置いたし、白い木綿で我が身を巻いて、二人子供の寝たのを見れば、可愛い可愛い児にひかされて、思いきり刃を逆手に持ちて、グッと自害の刃の下に、二人子供は早や目をさまし、三ツなる子は乳にとすがり、五ツなる子は背中にすがり、コレサ母さんノーウ母さんと、幼な心で早や泣くばかり、主水それとは夢にも知らず、女郎屋立ちいでほろ酔い気嫌、女房ぢらしの小唄で帰り、表口より今帰ったと、子供二人が駆け出でながら、モウシ父様お帰りなるか、何故か母さん今日に限り、言も言わずに一日お寝る、ホンに今まで悪戯したが、御意は反かぬノウ父様よ、何卒託してくださりませと、聞いて主水は驚きながら、あいの唐紙サラリと開けて、見ればお安は血潮にそまる、俺の心が悪いが故に、自害したかよ不憫なことよ、涙ながらに二人の子供を、膝に抱きあげ可愛や程に、何も知るまいよく聞け坊や、母はこの世の暇じゃ程に、言えば子供は死骸にすがり、モウシ母さん何故そうなさる、坊や二人は何うしましょうと、歎く子供を振り捨ておいて、且那寺へと急いて行く、戒名賞うて我家へ帰り、哀れなるかや女房の死骸、莚に包んで背中に負うて、三ツなる子を前にと抱え、五ツなる子の手をひきながら、行けばお寺で葬りまする、ぜひもなくなくわが家へ帰り女房お安のかき置見れば、あまり勤めの放埓故に、扶持も何にかも取り上げられる、其の上門前払いと読んで、偖も主水は仰天いたし、子供泣くのをそのまヽおいて、急ぎ行くのは白糸方へ、これはお出でか主水様よ、したが今宵はお帰りなされ、言えば主水はそれ物語る、襟に懸けたる戒名出して、見せりゃ白糸手に取り上げて、妾の心が悪いが故に、お安さんへも自害をさせた、さらばこれから三途の川も、手を引きますぞえお安さん、言えば主水は暫しととどめ、俺もお前と情死をしては、親方さんへ言い訳たたぬ、お前死なずに永らへさんせ、二人子供を成⻑させて、回向頼むよ主水様と、言うて白糸一と間へ入りて、数多朋輩女郎衆を招き、ゆづり物とてくしこうがいを、やれば小春は不思議に思い、これさ姉さんどうした訳か、今日に限ってゆづりを出して、夫にお顔もすぐれもしない、言えば白糸よく聞け小春、わしは幼き七つの年に、人に売られてこの廓で、つらい勤めも早や十二年、勤めましたよ主水様に、日頃三年懇親したが、今度妾し故ご扶持に離れ、またも女房に自害をさせて、それで妾が永らえ居れば、お職女郎の意気地が立たぬ、死んで意気地を立てねばならぬ、早くそなたも身ままになって、妾しが為にと香花頼む、言って白糸ひと間へ入り、口の中では只独言、涙ながらにノウお安様、妾故にと命を捨てて、嘸やお前は無念であろう、死出の山路も三途の川も、共に妾が手を引きましょと、南無という声この世の別れ、あまた女郎衆のあるその中で、人に情の白糸さんが、主水様故命を捨てる、名残り惜しげに朋輩衆が、別れを惜しみてなげくも道理、今は主水も詮方なさに、忍び密かに我が家にかへり、子供二人にゆずりをおいて、すぐにそのまま一室に入り、重ね重ねの身の誤りに、我と我身一生すてる、子供二人は取残されて⻄も東もわきまえ知らぬ、おさな心のあわれな者よ、あまた情死もあるとはいえど、義理を立てたり、意気地を立てて、心会うたる三人ともに、聞くも哀れなばなしでござる。
「哲⻄の⺠謡」より

基本情報

Metadata

伝承地哲西
年代1960年代ごろ
録音者名越軍治
詞型7777

解説

Commentary

鈴木主水(すずきもんど)

江戶後期の武士。江戶⻘山百人町に住み、妻と二人の子があったが、享和元年(一八〇一)、内藤新宿橋本屋の遊女白糸と情死したと伝えられる。その事件を素材に作られた唄が幕末に流行唄となり、瞽女(ごぜ)唄や盆踊唄にはいり、戯曲化された。

信濃国上田城主・真田昌幸の家臣として、上野国名胡桃城の城将を務めたとされる人物。真田信之(信濃国上田藩初代藩主)の家臣であった鈴木忠重(右近)は、鈴木主水の子とされる。

『加沢記』などの軍記物には下記のように記されている。

名胡桃城(真田昌幸領)の城将であった鈴木主水は、天正17年(1589年)に猪俣邦憲(上野国沼田城〈後北条氏領〉の城将。真田昌幸と敵対していた後北条氏の、上野国方面指揮官である北条氏邦の家老)によって名胡桃城を奪われた(名胡桃城事件と呼称される)。鈴木は後北条氏に偽って降伏し、隙を狙って猪俣を殺害しようと企み、沼田城下の正覚寺(群馬県沼田市に現存)に逗留したが、企図が発覚して同寺で自決した。

名胡桃城事件は、翌年の天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐、後北条氏の滅亡の直接の原因となった。しかし同事件の経過を具体的に伝える一次史料は存在せず、詳細は不明である。

そして「鈴木主水」に言及した一次史料が存在しないため、「鈴木主水」なる人物の詳細、「鈴木主水」なる人物の実在は不明である。「鈴木主水」が自決したとされる正覚寺には「鈴木主水の墓」と伝わる墓が存在するが、別人の墓ではないかという指摘を受け、かつて設置されていた案内板は撤去されてる。


てんがらこ(う)

新見全土を中心に、広島神石高原町、鳥取日野町、真庭郡新庄村などでも踊られる。

Not Found 楽曲が再生されるのを待っています #新見 #盆踊り
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