音源
Songs
下野部老人クラブ「唐松の国司祭りについて」インタビュー
いんたびゅー しものべろうじんくらぶ「からまつのくにしまつりについて」
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西 |
|---|---|
| 伝承者 | 下野部老人クラブ |
| 年代 | 1965 |
| 録音者 | 名越軍治 |
解説
Commentary
元弘2年(1332)、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)(在位1318−1339)が隠岐(おき)へ流される途中に唐松(からまつ)の国司神社で休息した。
このとき、地区の男性は天皇を警備するため神社に集まり、女性・子どもは戶を閉めて家にこもり火気を止めて慎んだと言われる。これを聞いた天皇は大変喜び、この神社に対して甲冑(かっちゅう)と矢1本を奉納し、また田を置いて位を下賜(かし)した。
そのため、この地を「位田」(くらいだ)と呼び、この祭を「皆籠祭」と呼ぶようになったと伝えられる。祭は旧暦正月亥の日(2回あれば初めの日、3回あれば中の日)に行う。
祭の当日は、岩山神社(いわやまじんじゃ)での神事のあと、社人(しゃにん)2人と供人(ともびと)1人で神社を出発し、田津川で身を清め、白装束(しろしょうぞく)・わらじ掛けに着替えて奥宮(弥山)をめざす。鳥居に差し掛かったところでそばに祀(まつ)る国司宮(くにしぐう)の小社で白餅・粟餅・榊(さかき)・弓の矢柄(やがら)等を供えて祀り、祝詞(のりと)をあげる。ここから上には社人・供人以外には上がることができない。続いて、中御崎の国司宮で麹(こうじ)・⻑刀等を供えて祝詞を奏上する。奥宮では、供人が携えた麹・御幣(ごへい)・お山銭等を供えて祀り、その後サイコロで各地区の吉兆を占う。
かいごもり祭-新見市の指定文化財
天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、道真が没後すぐに、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)という神格で祀られ、つづいて、清涼殿落雷事件を契機に、道真の怨霊が北野の地に祀られていた火雷神と結び付けて考えられ火雷天神(からいてんじん)と呼ばるようになり、後に火雷神は眷属として取り込まれ新たに日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん/にほんだじょういとくてん)などの神号が確立することにより、さらには、実道権現(じつどうごんげん)[1]などとも呼ばれ、『渡唐天神』『妙法天神経』『天神経』など仏教でもあつい崇敬をうけ[2]、道真の神霊に対する信仰が天神信仰として広まった
元々の火雷神は天から降りてきた雷の神とされており、雷は雨とともに起こり、雨は農作物の成育に欠かせないものであることから農耕の神でもある。各地に火雷神と同様の伝承で天神が祀られていたが、道真が天神さま、天神さんなどとよばれるようになり、各地で祀られていた天神もまた道真であるとされるようになった。また、北野天満宮や太宰府天満宮からの勧請も盛んに行われた。