音源
Songs
ひいにゃふうにゃ
ひいにゃ ふうにゃ
歌詞
Lyrics
明治35年ごろ歌われた
ひいにゃ ふうにゃ
ふんだりだるまが
ようるもひいるも
赤いずうきん
奥へ 外へ
かあけりとおいた
○羽子つきにも歌われた。
「哲⻄の童唄」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西 |
|---|---|
| 伝承者 | 名越軍治 |
| 年代 | 1965 |
| 録音者 | 名越軍治 |
解説
Commentary
哲⻄町の手まり唄で数詞を中心としたものは「一二三四五つと重ねて」、「一段上れ二段上れ、三段上れ」、「一二三四みよの姉さん」、「一で一畑お薬師さん」、「一を置いて廻れ」など極めて多い。教訓的なものでは「向う通るは生徒じゃないか」がある。
また物語り風のもの「阿波の鳴門順礼」のほか、リズム本位のもの「一りつとららら」「デコボコピンコチャン」などがあって、昔は歌を楽しんだと見られる⻑い文句が多いが、大正、昭和と時代が進むにつれて、だんだん複雑な動作を楽しむように変化していることがうかがえる。したがって、歌詞も短かくなり、作者も大人から子供へと移っていることがわかる。もとの形はうすくなり、意味のわからない言葉になっても、動作に合ってさえおれば、子供たちは少しもかまわない。それがかえって、わらべ唄らしい、あどけなさを感じさせる。
わらべ唄には、お寺や和尚さんのことを唄ったものが多い。昔からお寺とだん家との深いつながりが、わらべ唄にとりあげられたのではなかろうか、もちろん寺小屋時代から、子供たちにとってお寺は広く、遊ぶのに格好の場所だったに違いない。
わらべ唄について語っていただいた人の目は美しくかがやいているように見えた。楽しかった当時の世界をなつかしむことができるのは、わらべ唄に夢があるからだと思う。江戶時代からずっとうたいつがれてきたわらべ唄も、戦争によって失なわれてしまった。しかし子供たちは次々と新らしい歌をつくり出して来た。ところが30年頃からテレビの普及に反比例して急速に消えていることがわかった。
この集録をつくるまでには、哲⻄町内の多くの方々に唄や動作を教えていただいた。特に、曲譜の作成には、三輪智氏(矢神小教諭)さし絵は段塚一郎氏(思誠小教諭)のご協力をいただいた。ここに記して感謝の意を表します。
昭和49年1月30日
哲⻄町文化財保護委員会
「哲⻄の童唄」より