音源
Songs
牛追掛歌
うしおいかけうた
牛追掛歌歌・インタビュー
うしおいかけうた うた・いんたびゅー
歌詞
Lyrics
○世界でなよー名高い阿哲牛
十三花山となー云う牛が
みたまを祭りてよーさかむかい
左のみたなによー大山様とてさかむかい
左のみたなを拝むなら
田の神様とてさかむかい
あまたの見物見てござる
十三花山と云う牛が
死んでご国の神となるよー
○この牛はなーよい牛 よいまだら
フタイ(額)にやチョンボリ菊まだら
肩にはウチガイ かきまだら
背には千両の 負いまだら
腹にはジャタイ(蛇体)のだきまだら
四足が白うて尾にはシャクジョウのこみまだら
この牛はよい牛 よいまだら
○わしが馬喰すりゃ 親衆がきらう
それになー ついては妻や子の
馬喰のなりたちと一とおり
夏はよー木の下蚊張のかげ
冬はなーこたつでたばこ盆
油の様なる酒のんで
いたちの毛の様な煙草吸て
白鷺見た様な飯食べて
なにとて不足があるじゃなし
どうして馬喰が やめらりょうに
○かわいそうなが 蛍の虫がよ
ところはどこかとたずねられ
恥ずかしながらも話しましょ
これより川上 谷奥で
川端ヤナギの葉の裏に住む
もしもなよ わたしが死んだなら
しのびながても 闇となるなるかの
○伯耆の国では大山お山での
大山御山で登る時
数多(あまた)の馬 喰(ばくろう)がおりなさる
この牛はなんぼかの いくつする
お売りておくれよ 百姓様
買(こ)うておくれの 馬喰様
一分※と二分なら買いもしょうが
三分もちがえば 買わりゃせぬ
一分や二分なら売らりゃせぬ
伯耆の国でも ねにゃなりたよ
伊予でも土佐でも讃岐でも
備後の国では 久井(又は杭)の山
どこの牛でも 良い牛じゃの
お手手をたたけば 三百両かいの
「哲⻄の⺠謡」より参照
※江戶時代の日本における金貨の通貨単位。1 分(一分金・一分銀)は 1/4 両および 4 朱に等しく、二朱金(二朱銀)2 枚、一朱金(一朱銀)4 枚に相当する。
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西 |
|---|---|
| 伝承者 | 松原源太郎 |
| 年代 | 1960年代ごろ |
| 録音者 | 名越軍治 |
| 詞型 | 75 |
解説
Commentary
昭和32年は1647頭を数えた牛も現在(47年8月)は約800頭に減ってしまった。しかもそのほとんどが耕作に使わない肉用牛である。
昭和の初めまでは牛の移動は、追いかけて行くためかならず藁ぐつをはかせ、背には菰かゴザを着せてかわりの藁ぐつを負わせ、首には赤い布をかけていた。
こうして移動するときに追子が唄って、⻑い道中のうさばらしにしたものだという。後に博労(ばくろう)が商売し牛を出すとき、または牛供養に田の中へ追入れるときに唄われた。歌詞の中にある「十三花山」という牛は、大正9年8月新郷村「現在神郷町」に生れ第9回中国6県連合共進会で一等首席に入賞し農林省が買入れ、阿哲郡に種牡牛として貸付られた。のち(大正15年11月)哲⻄町に管理を委され種付に供用したため優秀な牛を盛んに生産し、昭和41年岡山市における全国和牛共進会ではグランドチャンピオンとして内閣総理大臣賞、農林大臣賞を受け、さらに翌42年第6回全全国農業祭においては和牛として八鳥沖田洋美さんが天皇杯を受領しいよいよ「哲⻄牛」の名声を高めた。
「哲⻄の⺠謡1」
伯耆大山を中心とした、伯耆・出雲・美作・備中北部・備後北部一帯の地方は、古くから牛馬安全の神・大山智明大権現(だいせんちみょうだいごんげん)(通称・大仙さん)への信仰が盛んだった地方である。東城町内の高い山の上には、たいてい大仙社が勧請され、毎年春や夏には定期的に大仙祭りが盛大に行われていた。
大山供養田植は、春秋の大仙祭りとは別に随時奇特な施主が主催して、不慮の死にあった牛馬の霊を供養し、現在飼育している牛馬の安全と五穀豊穣・家内安全を祈念する大規模な祭りである。田植おどり・供養行事・しろかき・田植太鼓・お礼納めの5行事からなる。発祥年月日は不明であるが、中世にかかれた「大山寺縁起絵巻」に供養田植の絵図が紹介されているので、すでに中世には行われていたものと思われる。
保存団体小奴可地区芸能保存会