
音源
Songs
田植え歌・大山登りの歌
たうえうた・だいせんのぼりのうた
歌詞
Lyrics
米子から(ヤーハーレナー)扇子の真影で 空見れば(ヤーハーレナ)
大山の(ヤーハレー)大山の(ヤーハーレー)お山が見えます ほのぼのと(アラサノコラサデ)
大山のお山にいつ登る いつ登る
朝ごり※取りて今朝登る
大山の唐金の鳥居はなんぼある なんぼある
唐金鳥居が三つある
大山の唐金鳥居※は誰寄進 誰寄進
松江の殿の ご寄進よ
「哲⻄の⺠謡」より参照
こり=垢離
《「かわお(川降)り」の音変化か。「垢離」は当て字》神仏への祈願や祭りなどの際、冷水を浴び身を清めること。水垢離。「明方の三時から、夜の白むまで垢離取って」〈鏡花・歌行灯〉大神山神社奥宮(おおがみやまじんじゃおくのみや)への参道に旧大山寺本坊⻄楽院跡の銅鳥居(かねとりい)。
(1782)に、神仏習合の大山寺へ参る川床・坊領・尾高の大山道が合流する表参道入り口に建てられた。
江戶時代後期の絵図に「金(かね)鳥居」「唐金大鳥居」とある。
基本情報
Metadata
伝承地 | 哲西上神代 |
---|---|
伝承者 | 加藤竹次郎 |
年代 | 1960年代ごろ |
録音者 | 名越軍治 |
詞型 | 本節(上)5755,(下)575 |
解説
Commentary
大正5年当時16才だった八鳥の毛利繁さんは、野馳小学校の用務員をしていた名越万太郎さんについて太鼓を入れた田植歌の伝承をうけた。
先ずその年、田植太鼓を購入した。45円であった。つけさげ(側についてくれるさげ)なしに田に入った。歌の文句が覚えられないので歌本を太鼓にくくりつけて、一つの歌詞を3回~5回繰り返し、一日に500ばかり歌ったそうである。後、下野部の佐伯一雄さん、畑木の栃木国雄さんのものなどを、受継いで数をふやし、また東城町川東に細川という年寄りを訪ねて、「ズン蟹」調も習った。そのころ畑木では太鼓田がおこなわれていたが、八鳥ではそれがなかったので、もっぱら針金節や、太鼓をともなわない田植歌を唄っていた。正月の内に田植寄合(相談の会合)が開かれ、くじで太鼓田(太鼓をたたいて行う田植)の日どりがきめられた。今は太鼓は行われなくなったが、生木部落ではこの風習を残そうと毎年おこなうことにしている。早乙女が一列に並び、その前にサゲが対向し、綱を引いて後へ後へと植えてさがる。腰が痛くなればタバコ(休憩)をさせ、若早乙女が植え遅れると、右から左へ、左から右へと指図して、一せいに綱がひけるように気を配る。また張り田(植田の面積が多くてその日のうちに作業が終り難い場合。つまり仕事が張るとき)のときは太鼓の調子を速めて能率を高めるなどサゲの役目は重要であった。
歌は朝の歌からはじめられ田の神・田主・京登りなどの役歌や、段事(物語り)が本調子・半かけ・四半かけ・ねり歌と変化をもってうたわれ、早乙女がたいくつしないようになっている。
「哲⻄の⺠謡1」より