音源
Songs
伊勢音頭/大工送りの歌
いせおんどう/だいくおくりのうた
伊勢音頭歌・インタビュー
いせおんどう うた・いんたびゅー
歌詞
Lyrics
伊勢音頭
「アーラヨーホイセー なんぼ急いでもヨイヨイ
伊勢道は二十日ヨイセー トーコセー
天気悪けりゃヨーホイソーレー 二十五日アソリャソリャ
ヤーットコセーノーヨーイヤナー アレワイサー
コレワイサーエー アリヤー ヨーイトセー」
〜
ホイセー 茅葺き ヨーイソーレ
片庇(かたびさし)アソリャソリャヤーットコセーノーヨーイヤナー ハレワイサー
コレワイサーエー アリヤー ヨーイトセー
○竹になりたや お伊勢の竹に
お杉 お玉の旗竹に
○お伊勢参りたか 奈良とはせ見たか
ものの名所は 奈良とはせ
○なんぼ急いでも 伊勢道は二十日(はつか)
天気悪けりゃ 二十五日
○参宮友達 親より子より
一生連れそう妻子より
○伊勢に参れば 親様拝め
親は入日の如くなり
伊勢のとよこの 金掛様は
今は枯木で靴をかける
○伊勢の雀が奈良まで来たか
奈良のなげしに巣をかけた
○坂は照れ照れ相の山曇れ
お杉お玉が 陽にやける
○お杉お玉が百姓の子なら
嫁にとりたや 花嫁に
○水になりたやお伊勢の水に
お杉お玉の化粧の水
○お杉お玉のひくしゃみは
一は切れても二と三で
「哲⻄の⺠謡」より参照
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲西 |
|---|---|
| 伝承者 | やよい会、賀島呉一郎 |
| 年代 | 1960年代ごろ |
| 録音者 | 名越軍治 |
| 詞型 | 7775 |
解説
Commentary
伊勢音頭は、ぬけ参宮をした者が帰って来た時にうたわれた歌であるが、ぬけ参宮をしなくても表参宮が出来る世の中になってからは、大工送りや、木挽送りにもうたわれた。
明治33年、下野部の東与作さん達のぬけ参宮が、おそらく最後だろうといわれる。酒1升10銭ごろの旅費、10円~50円という大金が要るため親の許しが出なかったので、親に内密で金を借り出発した。備中町の藪というところから、吹屋の浄光寺谷を通って行く、ぬけ参宮の一行を追っかけられて連れ戻された者もあったという。参宮で借りた金はかならず返済した。金が返せぬ者は「男」を2年勤めて返した例もある。
下野部では、茂十さんはわらじ作りの名人で、他の者の5足よりスネコスリというモチわらで作った2足の方が強く⻑くはけたので、茂十さんのわらじをはいてぬけ参宮へ出発する例になっていた。ぬけ参宮をした家では、参宮号(着物のことで、むかえ号ともいった)を、綿をひき織って染めて作った。もどって来ると、とり肴を重箱に詰めて、部落総出で宮に集まり、大ずき合で、宮座で飲み、五箇参り(下野部春日神社、大竹良神社、畑木皇太神社、八鳥疫清神社、上野部八幡神社へ参拝)をした。終って、つぎは本人の家で、近家と親類を加えて「フタロクガイ」になって(米、金銭を持ちよること)飲んだり歌ったりした。
伊勢音頭は、また「大工送りの歌」としても歌われた。大工送りというのは、母家や土蔵の普請があると、大工と木挽をそれぞれ自宅まで送り届ける行事である。その時、弓矢をそれぞれ一組づつ作って送った。今は木挽の仕事はなくなったけれど、弓矢を作る場合に、片方だけでは、ゲン(運)が悪いといってやはり2組作った。棟上げが済むと、上棟式の祭壇が作られる。まず正面に板を並べ、その上に扇子を3本ひらいて丸くし、3色または5色の布(新モス)をつけたもの一対、薄くまるめた餅(2升の餅米で紅白一箇づつ)を竹の先につけたものが一対(日輪と月輪)玄米を入れた三宝を3個、それに白米と塩水少々、酒3升頭付の肴、ご幣大3本、四方と中心に立てるご幣小5本、小さい餅を入れた俵などを供える。すべて「半」にするものだといって餅米も3斗3升3合を搗き、子供に壁繩で負わせて祭壇に上る。なお上棟式に列席する者には骨が45本ある専用の扇子が渡される。今は小さい扇しかなくなった。
前記の弓矢は、2間垂木に板を打ち付けたものを大工の分と木挽の分との2個を作って、祭壇に供える。この弓矢を作るために大工はまる1日かかったという。上棟式が済むと、丑寅(東北の間)に1個(弓を下に向ける)あきの恵方に1個(弓は上に向ける)立てておき、大工送り、木挽送りに持って行く。弓矢を先頭に酒5升、絵重、餅、祝儀を持った数人が大工、木挽をそれぞれ家まで送って行く。大工送りの歌(伊勢音頭)が賑やかにうたわれる。今は自動車で送る場合が多い。大工や木挽が悪魔を全部引受けて帰るといわれている。家に到着すれば、ご幣は床に飾り、弓矢は軒先に立てておく。そしてそこでもご馳走が出て飲んだり歌ったりするのである。
大工にしてみれば「本当は送って貰わぬ方がよい」という。大工を送った者が帰るときは、大工の家から酒樽へ5合ばかり酒を入れて返したそうである。
「哲⻄の⺠謡1」より
お蔭参り(おかげまいり)は、江戶時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。お蔭詣で(おかげもうで)とも。数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった。お伊勢参りで抜け参りともいう。
お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これが、お蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんである。大金を持たなくても信心の旅ということで沿道の施しを受けることができた時期でもあった。