
音源
Songs
木挽唄
こびきうた
歌詞
Lyrics
ヤーレ
山で切る木は数々あれど
思い切る気はさらにない
木挽よい職白木の上で
晩にゃお嬶の腹の上
木挽たちは丸木の上
で鳶やカラスの真似をする
何の因果に木挽を習うた
花の盛りを山小屋で
かわいい御殿は山小屋で木挽
色は小黑で良い男
「奥備中の⺠謡」より
歌の先生が一人よりも
下手な連れ節おもしろい
○何の因果に木挽を習うた
花の盛りを山小屋で
○歌え歌えとせりかけられて
歌は出ませぬ玉の汗
○大工さんより木晩さんが憎い
仲のよいのを挽分ける
○花の盛りを山小屋におれば
いつが花やら蕾やわ
○木挽米の飯1升飯くろて
ほらの貝の様な糞たれる
(松の本挽にゃほえたげな)
○七つ木挽にもの言うな女子
七つ木挽は花じゃもの
○木挽様かえお泊りなされ
わしが殿ごと相の職
○木挽女房にゃなるなよ娘
木挽山で木をかじる
○山は焼いても山鳥は逃げぬ
何の逃げましょ子をすてて
○山で床とりゃ木の根が枕
落ちた木の葉が夜着となる
○木挽さんより大工さんが憎い
仲の悪いのを打ちつける
○木挽よい職白木の上で
晩にゃお嬶の腹の上
木挽さん達つかずの米で
ついて行たや山小屋に
○木挽さんは2間ども挽かにゃ
銀のかんざし買われまい
○猿か木挽か木挽か猿か
赤い顔して木をかぐる
○木挽さんとは承知でほれた
聞けば山奥小屋住い
○のこは京のこ 岡山やすり
挽くは日向の姫小松
「哲⻄の⺠謡」より
基本情報
Metadata
伝承地 | 哲多 |
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伝承者 | 奥津武志、地元有志 |
年代 | 1982年より以前 |
詞型 | 7775775 |
解説
Commentary
木挽唄
⺠謡の一つ。木挽職人が鋸(のこぎり)で木材を挽くときにうたう歌。中に鋸のリズムを思わせる囃詞(はやしことば)がある。
大正2年、18才になった上神代の加藤竹次郎さんは、上手な木挽について修業した。同氏の話によると、鋸の重さ6kg、巾21cm、⻭口の⻑さ45cm(36枚)という大きなものを動かす重労働なので、1升飯を食わねば腹に力が入らなかった。元気なときは1日に松板3間半、杉板4間半を挽き、賃銭は28銭だった。
当時米は一升10銭5厘位だったが、後15銭になったので、その頃輸入された印度米を半分入れて食べた。
木挽はけずりが2年間、木挽2年間、合わせて4年間親方について習わなければ、1人前になれなかった。また師匠離れをしても礼奉公をさせられた。
そのころは千屋上市唐松・鷹の巣など官林が多く、何日も山の中に入って大きな木を削ったり挽いたりした。昭和4年頃、八鳥の児山覚さんが移動製材をはじめたので、木挽きの仕事はしだいになくなった。
「哲⻄の⺠謡1」より
唄:奥津武志さん
1903年新見の哲多新砥生まれ。幼少から牛とともに育ち、農家を続ける。
尺八も所有されていた。歌うことが好きで、そのソウルフルな歌声は⺠謡関係者をはじめ、沢山の人に評価された。特に新見の田植え唄でよく知られている。歌は先代や地元の歌い手を手本に独学で身につけられたのでは、とお孫さんは語る。
彼の歌声は「日本⺠謡大観中国篇付属CD4」や「伝承者が唄うおかやまの唄第2集LP」に収められている。