音源
Songs
てんがらこ「那須の与一の弓矢の」」
てんがらこ「なすのよいちのゆみやの」
てんがらこ「富三殺し」
てんがらこ「とみぞうごろし」
てんがらこ「小栗判官照手の姫くどき」
てんがらこ「おぐりはんがんてるてのひめくどき」
てんがらこ「那須の与一の弓矢の誉」
てんがらこ「なすのよいちのゆみやのほまれ」
歌詞
Lyrics
平井権八小紫くどき
爰に過ぎしに其物語、国は山陰その名も高き、武家の家老に一人の悴、平井権八直則こそは、犬の喧嘩が遺恨となりて、同じ家中の本庄氏を、討って立ち退き東をさして、下る道にて桑名の渡、僅かばかりの船賃故に、数多の船頭に取り囲まれて、既に危きその折からに、是を見兼ねて一人の旅人、平井助けて我家へかえる、是れは名に負う東海道に、その名熊たか山賊なるが、夫と権八夢にも知らず、其の家内にゃ美人がござる、名をば⻲菊蕾の花よ、見れば見るほどおとなしやかで、其夜権八が寝間へと忍び、モーシ若さん侍さんよ、此家の主人は盗賊なるよ、知って泊るか知らずであるか、今宵のお命危うでござる、妾しも三河で富豪の娘、去年の暮れからこの家に捕られ、永の月日を涙で暮す、故郷こいしやサゾ両親が、案じさんすであろうと思う、お前見掛けてお頼み申す、何うぞ情ぢゃ後生じゃ程に、妾を連れ立ち此家を逃げて、故郷三河へ送りてたべと、口説たてられ権八ことは、流石よしある侍なれば、その訳柄を残らず聞いて、さらば此の家の主人を始め、手下盗賊皆切殺し、お前故郷へお連れ申す、二人密かに約束堅め、娘⻲菊立ち出でゆきやる、夫れと知らずに熊鷹張本、手下数多にささやきけるは、今宵泊めたる若侍の腰にさしたる二腰こそは、⻩金作りで名作物よ、二百両から先への物じゃ、彼れを歎き連れ来りしは、それを奮うは心のたくみ、奥の座敷に寝かしておいた、最早時刻も夜半の頃よ、奥の一間に切り込みければ、兼ねて権八心得あれば、夫れと平井は抜く手も見せず、主人熊鷹手下の奴等、終に残らず皆切り殺し、そこで⻲菊手を引き連れて、慣れし三河の矢矧の⻑者、一部始終の咄をいたす、⻑者夫婦はよろこび勇み、何うぞ我家の婿にもせんと、勧めけれども権八どのは、猶ほも仕官の望みもあれば、⻑者夫婦に断り云うて、暇乞いして立たんとすれば、今は⻲菊詮方なみだ、ぜひもなくなく金とり出して、心ばかりの餞別なりと、云えば権八気の毒顔に、志ざしとて頂き納め、花の東に急がれる、行けば程なく川崎宿の、音に聞えし万年屋とて、爰にしばらく御休みなさる、偖てもこれから品川までの、道は何里とお尋ねなさる、道は僅かに二里程なれど、鈴ヶ森とて難所がござる、夜毎夜毎に辻切りあれば、七ツ過ぎにも早やなりければ、今宵当所にお泊りあれと、云えど権八耳にも入れず、大小差す身はそれしき事に、恐れ泊ればあまたの人に、臆病未練の侍士なりと、永く笑われ恥辱の種よ、夫れは元より望みでござる、勇み進んで品川ゆきやる、偖ても平井の権八どのと、同じ茶屋に休んでいたる、花の東にその名も高き、男達にて幡随院の⻑兵衛、平井出て行く跡見送りて、流石侍士天晴ものよ、さらば若衆の手なみを見んと、跡に続いて⻑兵衛こそは、鈴ヶ森へと早や差し掛る、其夜其処にて権八どのは、兼ねて覚悟と山賊共を、大勢相手に火花を散らし、それと見るより⻑兵衛どのは、さらば助太刀いたさんものと、実にや仁王の荒れるが如く、切って廻われば山賊共は、雲を霞と逃げ行く跡に、⻑兵衛どのは平井に向い、お年若にも似合ぬ手並、恐れ入ったる働きなるぞ、俺も江戶にて名を売る男、御世話いたさん我家にござれ、云えば権八よろこび入りて、左らば今より兄弟分となれば、⻑兵衛が匿まいなさる、偖ても助七助八達は、親を打たれてその仇敵、平井権八打ち果さんと、是も東の花川戶にて、借家住居で二人の者は、花のお江戶を日毎にたずね、夫れと権八早くも悟り、忍び狙うて二人の者を、何の苦もなく殺して仕舞い、今は権八安堵の思い、心ゆるみし若気のいたり、花のお江戶の新吉原に、音に聞えし花扇屋の、小紫にぞ心をかけて、夜毎夜毎にお通いなさる、此や小紫素性を聞けば、三河矢矧の⻑者の娘、今は⻑者も落ぶれ果てヽ、娘⻲菊遊女に売られ、涙ながらに勤めをいたす、平井権八それとは知らず、初会座敷のその初まりに、何うか見たような顔付なりと、思う心が先とも通じ、いっそ可愛いお若衆さんと、思う座敷も早や引き過ぎて、床になったるその睦言に、さても互に顔見合せて、思っていたる以前のはなし、さては⻲菊権八さんか、一度別れて又逢うことは、先の世からの約束事よ、二世も三世もその先きまでも、変るまいとの互いの契り、それが悪事の起りとなりて、人を殺して金とる事が、夜毎夜毎に度かさなれば、毒を喰らわば皿までなりと、猶もつのりて中仙道は、音に聞えし熊谷土手で、上州絹売弥兵衛を殺し、百両あまりのお金を奮りて、猶も廓へ忍んで通う、悪事千里で権八身分、其りゃ恵方はお尋ね者よ、爰に目黑の虚無僧寺に、忍び入るとも厳しい詮議、今は天地に身の置きどころ、泣くに泣かれず覚悟を極め、お奉行所へと名乗りて出る、哀れなるかや権八事は、鈴ヶ森にとお仕置となる、偖も幡随院の⻑兵衛こそは、平井権八晒した首を、願い貰いて目黑の寺へ、埋め葬り回向をなさる、それと噂を聞く小紫、人目忍んで廓を出でヽ、晝も心は目黑の寺を、平井権八墓場の前に、乱れ初めにしその黑髪に、何んと白無垢死装束と、姿懐剣咽喉へと当てヽ、南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛、二世を助けて賜われかしと、落つる涙は千種の露と、消えて浮名も比翼の塚と、今の世までもはなしに残る。
「哲⻄の⺠謡」より
富三殺し
ころはあきらか 天明五年
国は相模の 小田原在に
荒木源太と いう士よ
知行も取らしゃる 百二十五石
それの息子に 源次というて
年は二十一 男の盛り
物もよう書く 算そろばんも
何にかけても 劣らぬ源次
それの女房に お梅と言うて
年は十六 花ならつぼみ
器量のよいよい まことに良うて
花にたとえて 申するなれば
一にイチジク 二にカキツバタ
三に下り藤 四にシシボタン
五つ伊山の 千本桜
六つムクゲが ちらと咲き
七つ南天 八つ山咲よ
九つコーメン ちらと咲き
十の花にも 勝りたお梅
丁度向うに 油屋ござる
油屋とても 兄弟ござる
二番息子に 富三と言うて
年は十八 薄前髪よ
器量が良い良い 誠に良うて
それにお梅が 一寸ほれまして
あのや富三様に 添われるように
神や仏に 心願かける
一に一畑 お薬師様よ
二には日光 東照宮よ
三にさぬきの 金比羅様よ
四には信濃の 善光寺様よ
五つ出雲の 大社様
六つの国では 塩釜神社
七つ成田の あの不動様
八つ八幡の 八幡様よ
九つ高野の 弘法大師
十で当所の 氏神様よ
どうか富三様に 添わしておくれ
それでも富三様に 添われぬなれば
前の小川に 我身をなげて
三十三尋 蛇たいとなりて
参る男を 皆取りくらい
そうする内 其の年暮に
明けて 正月十一日に
源次しゅうとの 年始に行きゃる
一の門まで お梅が送り
年始おいきりゃ いつお帰るか
早うお帰りのう 源次様
貴男おいでにゃ 淋しうてならぬ
いつか戻るか 出た者知れぬ
遅し三日は 逗留じゃほどに
うちをしっかり たしなめお梅
はいと返事の しょしゃの良さ
源次行きゃるし お梅は戻る
戻る小足に 富三を招き
今宵おいでりゃ 源次は留守じゃ
夜の細道 雪踏み分けて
お梅お梅と 二声三声
お梅驚き 早目を覚し
夜の夜中に わし呼ぶ者は
狐狸か希人か マドーでないか
狐狸や希人や マドーでないが
昼の約束 富三でござる
富三様かえ ようこそお出で
まずはこれへと 手を引きまして
奥の一間に 連れ込みまして
寝たり起きたり 道楽話
えらい今宵は 寒じがひどい
夜着を出そうか ふとんを出そか
夜着もふとんも わしゃいりませぬ
わしと貴女と 末代添うにゃ
源次おっては 此の世がせまい
源次殺すにゃ 毒酒の手段
お前男じゃ こしらえなされ
妾女だ 呑ませてやろう
せまい処で 立聞く源次
刀さげおを たすきにかけて
声を掛けて 飛んで出て
われら二人は 袋のねずみ
口を締めたら 逃しはすまい
言えば二人は シクシク泣きゃる
泣いて男が 立つものか
ほんに富三も 男でござる
一手二手は 枕で受けた
受けた枕も 二つに割れて
早くも富三を 切り殺し
返す刀で お梅にかかる
そこでお梅が 申する事に
こらえ下され のう源次様
一生間男 すまいもの
われら二人は 花と花
こらえやりたい 事なれど
わしの命を 狙うからに
助けおかれぬ 覚悟せよ
早う お梅を切り殺し
二人死がいを 重ねておいて
向うじい様 寝酒をあがれ
酒の肴は 数々あるが
之が富三の 死がいでござる
之がお梅の 死がいでござる
仇取りゃれば 此の場で取りゃれ
仇どころが 大きな手柄
上に聞こえりゃ ほうびになろよ
「哲多町史」より
小栗判官照手の姫くどき
騒動咄しゃ心中くどき、世上世界にかずある中に、都九条にその名も高き、小栗判官まさ清さまは、日々に勤める大内御所の、あまたつめたる公卿衆の中で、花をあざむく美男でござる、頃は卯月の卯の花盛り、ある日小栗は花見に出でて、花見がえりのその道すがら、酒のきげんでみぞろが池の、をばの木の根に腰うちかけて、笛を取り出し吹き込む音いろ、天に通じて地にしみ渡り、池の大蛇もその音にうかれ、娘姿と形をかえて、そろそろと小栗判官のそばえ、よれば互いに顔見合せて、これも因果づくでもあろが、ついにその場で契りをこめる、これが後々小栗のために、あだとなるとは夢にも知らず、さても小栗は大蛇と契る、そのやとがにて常陸の国へ、親の情けでとのばら連れて、なごり惜しくも都を出でヽ、是非もなくなく常陸の配所、玉の御殿にほうでうつくり、ここに隠居の身分となられ、それは偖ておき相模の国に、強盗切とり横山どのヽ、親子四人は悪心ものよ、京に名高き照手の姫を、ぬすみうぼうて我家に連れて、これを悴にめあわす所存、今は照手も十九となりて、一人いくいく思案をいたし、たとえ命がなればとても、此の家非道の悪徒の悴、なんの枕がかわさりよものと、思いつめたる心のうちは、流石まれなる女でござる、ある日小栗の御殿へ来る、相模まわりの小間物うりが、相模横山照手のはなし、聞いて小栗は文したためて、いろの取持ち五藤にたのむ、すぐに五藤はその場をたちて、相模照手に文○出せば、封じひらいて照手の姫は、あい○○恋路の文を、さすが五藤の理につまされて、へり返事に一首の歌を書き、そのやたん○○○へ渡す、道を急いで小栗へわたす、歌の○○○ぬ聞えし横山どのヽ、それと聞くより悪人親子、たくみおいたる⻤かげ馬の、手なみ見てからむこにもしよと、きいて小栗は仕度をいたし、直ぐにうまやへ案内なさる、そのやうまやは岩かげづくり、さてもおそろし岩やの内に、乕を欺むく⻤がげなれど、流石小栗は公卿衆の流れ、それに武術も達人なれば、馬をなだめてうらりと乗りて、馬の上にて武芸のあそび、月も照手と云われて夫婦、親の横山たくみもはずれ、さらば祝言させようものと、酒や肴をと、のえならべ、小栗とのばら毒酒と知らで、飲めば血を吐くその苦しみは、見るも中々あわれな事よ、小栗一人は藤沢寺へ、馬をはやめてかけつけなさる、寺の和尚が死人を貰い、医者や薬とかいほうなさる、ここにあわれや照手の姫は、親の悪事でうつろうのふねで、しかもその日は四月の廿日、ゆられ流れて行先知れず、安房やつらさの上総の国の、浜へついたが三月二日、これを見つける砂どり船頭、むつの浜にて照子の姫を、船の中から手を引き連れて、すぐに我家へ案内いあし、内のものにも一々はなし、医者や薬で介抱いたす、月日送れば宿なる女房、いつか吝気の心が起こる、さて女房は夫に向い、睦の浜から連れ来たなどと、わしをだましてあの女衆を、内へ入れたがわしゃ口惜し、そんなことヽは夢にも知らず、とてもおくなら妾しを出さんせ、それが出来ずばあの女衆を、どうじゃどうじゃと腹立ち涙、今は照手も理につめられて、一人すごすご中仙道へ、何所をあてどにうろうろ歩き、これも前世の約束ごとか、国で別れしわが夫様に、夢でなりとも逢いたいものと、肌身はなさぬ観音さまを、朝な夕なに心でおがみ、露のふとんか草葉のかげで、さぞや御無念うらみもあろう、わしがためにも敵の親子、わしはこの家へ八ツの時に、盗みとられて横山どのに、そだてられたは十一年よ、たどりだどりて今此里の、知らぬ他国で月日を送る、京に名高き大社がござる、北野天神天満宮へ、日々に小栗は日参いたし、敵横山親子のものを、何うぞ御利益力をそえて、本望とげさせたまえと祈る、それを知らねど照手の姫は、諸国神佛の巡拝いたし、はてしわが夫とのばら達の、心ばかりの菩堤のために、ある日北野へ参詣いたし、両手合わせてさしうつむいて、神のあかしでお宮を見れば、額にかいたる松竹梅の、さてもきれいに眺める額に、小栗判官まさ清とあり、ハッとおどろく照手の姫よ、今日は小栗も大願いたし、参りおうたがいも背の縁か、うれし涙にものをも言わず、貞女立てたる女の操、死んで別れしいもせの中も、神のめぐみで又逢うことは、かたく結びし神様の、お引合せとよろこぶ二人、やがて十人とのばら達も、つどいあわせて相模の国の、敵横山親子の奴等、さらば打ち取る支度をいたす、同勢引つれ相模の国に、今に残りし藤沢寺よ、これにしばらくとう留いたし、住持和尚に金子を出し、死んだ死骸の石碑をたのむ、云えば和尚は石碑をたてヽ、あまたお弟子を残らず集め、袈裟や衣や水晶珠数で、南無やたんのうとらやあやあと、お経終りてまさ清さまは、残しおいたる馬頭の二字に、祭りたもうは鎌倉寺よ、寺の中にて仇打ち支度、鎖かたびら小手脛あてに、支度とヽのえ横山親子、たった一打ち討ち取るべしと、裏と表をとり囲まれて、我も我もと恨みの刀、中で小栗は親子の首を、右と左の両手にさげて、敵うつのもお神の利益、何も首尾よく本望遂げし、小栗照手のほまれを残す
「哲⻄の⺠謡」より
那須の与一の弓矢の誉
寿永四年の 五月雨時に
源氏平家の 世の争いに
だんの浦をば 決戦場にて
源氏陸地に 平家は沖に
沖に千雙 浮かんだ舟の
舟のへ先に 現れました
二人ばかりの 大振袖が
扇開いて 陸地を招く
これを眺めた 源氏の者が
大将義経 あれごろうじろ
沖に立てたる 扇の的を
射いて落せと 言うのでござる
大将義経 それ御覧じて
弓矢名人 数有る中で
那須の与一を 御前に呼べば
与一急いで 御前に進む
そこで義経 申さる事にゃ
そちを呼んだな 余の儀にあらず
沖に立ったる 扇の的を
汝一矢で 射落しくれよ
汝一矢で 射落すなれば
汝一人の 誉にあらず
源氏一家の 誉となろうよ
そこで与一は 覚悟を決めて
仰せかしこみ 御前をさがる
そこで与一の 身のいでたちは
黑糸おどしの あ大鎧
白羽二重の 直たれに
五郎入道 正宗公の
菊一文字の 大刀をはき
鳥毛の烏帽子に 白鉢巻よ
白鉢巻をば キリリとしめて
弓は重籐 矢はタカの羽よ
明て三才の 鹿毛の駒
金ぶくりんの 鞍置いて
あぶみ踏えて ヒラリと乗りて
沖に向かって 静々進み
波立際にて 両の目つむり
南無や八幡 あの大ぼさつ
わけても奈須の 大明神よ
打たせ賜えや 扇の的を
狙ひ定めて ヒョーと打ちゃ
狙い違わず 扇の要
扇ヒラヒラ 舞い上る
沖じゃ平家が 舟端たたき
陸じゃ源氏が 両の手たたき
割れんばかりの 大喝采よ
「哲多町史」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 哲多萬歳 |
|---|---|
| 伝承者 | 1,2)奥田伍代松 3,4)高橋敏蔵 |
| 年代 | 1965〜1975 |
| 詞型 | 1)7777 |
解説
Commentary
てんがらこ(う)新見全土を中心に、広島神石高原町、鳥取日野町、真庭郡新庄村などでも踊られる。
那須与一(なすのよいち)は、源頼朝に仕えていた平安時代末期の武将・御家人。
幼い頃から弓の腕が達者で、居並ぶ兄達の前でその腕前を示し父の資隆を驚嘆させたという地元の伝承がある。また、治承4年(1180年)、那須岳で弓の稽古をしていた時、那須温泉神社に必勝祈願に来た義経に出会い、資隆が兄の十郎為隆と与一を源氏方に従軍させる約束を交わしたという伝説がある。その他与一が開基とする寺社がいくつか存在している。『平家物語』に記される、扇の的を射抜く話が非常に有名である。
また扇の的を射た功名で得たと伝えられている荘園のうち1つの備中荏原荘がある。この伝承が事実であるかどうかは不明であるが、少なくとも鎌倉時代中期の段階で那須氏の一族(荏原那須氏・備中那須氏)がこの地域を支配していたことを示す記録が残されている。
お梅、荒木源太、富三なる人物、又は彼らにまつわる話は見つからなかったが、実在した花井お梅に関係しているのではと思い、以下に挙げておく。
花井お梅
没年:大正5.12.14(1916)
生年:元治1(1864)
明治時代の芸者。下総国佐倉(千葉県)生まれ。本名ムメ。9歳のとき江戶日本橋吉川町の岡田常三郎の養女となり、15歳で柳橋の雛妓となった。一本立ちしてからは宇田川屋秀吉と改め、浮名を流した。
明治20(1887)年実家にもどり、実父の名義で日本橋浜町に待合茶屋「酔月楼」を開業したが、実父と営業のことで意見が対立。番頭の八杉峰吉(本名峰三郎)が実父に加担してお梅追い出しをはかったことから、同年6月9日、隅田川河畔で峰吉を刺殺。無期徒刑の判決を受けた。同35年特赦により出獄。
汁粉屋などを営んだが、女役者となり、芝居で自分の経歴を演じ続けた。河竹黙阿弥が「月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)」として歌舞伎化し、のち川口松太郎の『明治一代女』などにもとりあげられた。
綿谷雪『近世悪女奇聞』(関井光男)
出典朝日日本歴史人物事典
小栗判官(おぐりはんがん)は、伝説上の人物であり、またこれを主人公として日本の中世以降に伝承されてきた物語。妻・照手姫の一門に殺された小栗が閻魔大王の計らいで蘇り、姫と再会し、一門に復讐するという話で、説経節の代表作であり、浄瑠璃や歌舞伎などになった[1]。常陸国小栗御厨(現在の茨城県筑⻄市)にあった小栗城の城主である常陸小栗氏の小栗満重や、その子・小栗助重がモデルとされる。
熊野の逸話「小栗判官と照手姫」は、説教説という中世の口承芸能によって広まったとされている。
これは人々の多く集まる街頭などで、仏の教えを広める為に語られた物語である。
説教とはもともとは仏典を読み解くことで、その教えを一般の人々に広く広めることが目的であった。しかし難しいお経よりもその教えを物語にのせて話すほうが、⺠衆の心を動かす力は大きい。しかもこの物語はラブストーリーでもある。そして死から生へと蘇る物語でもある。誰もが、蘇りを求めていた。
信不信を問わず、浄不浄を嫌わず。身分や男女の違いも関係なく。
熊野の詣でることにより、人々は救われると信じられてきたのである。
「小栗判官と照手姫」の物語
この物語は熊野をメインの舞台として、浄瑠璃、歌舞伎など、さまざまなジャンルを通して何百年もの間伝承され続けている為、諸説様々であって内容もそれぞれである。
ここでは江戶時代初期の画家、岩佐又兵衛(いわさまたべえ)による「小栗判官絵巻」を参考にしている内容を紹介しよう。
(以下JTBキャンブックス「熊野古道を歩く」より引用)
二人の出会いと死
京の公卿二一条兼家は、名門の家ながら跡継ぎに恵まれなかった。そこで妻を鞍馬寺に参詣させ、男児を授かった。子供は⻑じて「小栗」と名付けられた。
成人した小栗に、母は妻を要らせようとした。しかし小栗は、一向に気に入った女と出会えない。さすがに小栗白身も困り果て、定まった妻が授かるようにと鞍馬寺に祈願に出かけた。その道中、深泥ケ池にすむ大蛇が小栗を見初め、若く美しい姫に変身して誘惑した。小栗はこの大蛇と関係を持ってしまう。それは都中の噂になり、父・兼家は小栗を勘当し、常陸の国へ追いやった。
常陸の国で小栗はある日、世にも稀な美女・照手姫のことを聞かされる。
小栗はまだ見ぬ照手に恋い焦がれ、恋文を送る。照手はこれに戶惑いながらも応じ、返事を書いた。小栗は嬉しさに矢も楯もたまらず、屈強な家来を従えて、照手の館に押し掛けた。そして二人は、運命の実りを結んだ。
しかし照手の父・横山は、自分に無断で結婚したことに腹を立てた。横山は、小栗を人喰い馬に喰い殺させようとしたが、小栗は馬を思い通りに操り、難なく乗りこなしてしまった。
次に横山は酒に毒を盛ることを計画し、小栗を宴に招待する。宴に参加した小栗と家来たちは、あえなく毒酒を飲まされて次々に絶命してしまった。
横山は家来たちを火葬にし、小栗だけは土葬にして葬った。そして「我が娘だけをそのまま生かしておいては、都の聞こえが悪い」と、実の娘の照手を淵に沈めてしまうよう息子たちに命じる。息子らは気が告め、照手を乗せた牢輿の沈め石を切り離し、そのまま川に流し去った。
照手の牢輿は相模国に流れ着き、漁お古夫の⻑に助けられた。しかし⻑の妻がこれに嫉妬し、照手を人買い商人に売り飛ばす。照手はその美しさから、次々に値を上げて転売され、辿り着いた先は美濃国⻘墓の遊女宿だった。
辛苦に耐える照手は念仏小萩とよばれ、貞操を守るため、遊女になることを拒んだ照手は「常陸小萩」ともよばれながら、水仕女として苛酷な労働に耐える日々を過していた。
一方小栗と家来たちは、閻魔大王から判決を受けていた。大王は家来たちの懇願を受け、「この者を藤沢の上人に渡すので、熊野本宮の湯の峰に入れて本復させよ」と記した札を小栗にかけ裟婆へ戻した。この藤沢の上人とは、一遍が開いた時宗の僧のことである。
熊野への旅
目も見えず口もきけない餓⻤の姿で塚から這い出た小栗を、藤沢の上人が見つけた。閻魔大王からの依頼を読んだ上人は、小栗の髪を剃り「餓⻤阿弥」と名付けた。そして「この者を一引きすれば干僧供養、二引きすれば万僧供養」と胸札に書き加えて土車に乗せ、東海道を熊野へ向かわせた。
餓⻤阿弥(がきあみ)は、箱根、富士、掛川、名古屋へと人々に引かれ、照手のいる美濃国にやってきた。引き手がつかず捨てられていた土車を発見した照手は「こんな姿でも夫の小栗が生きていてくれたなら」と思い、照手は小栗の供養に土車を引きたいと、わずかな休暇をもらう。
それが小栗だとは気づかないまま、大津まで引いた照手は「本復されたら美濃国⻘墓の宿の常陸小萩を訪ねて下さい」と餓⻤阿弥の胸札に書き添えて帰っていった。
餓⻤阿弥はさらに、京、堺、紀州と引かれて大峰山へ進み、修験に背負われて山を嘩え、四百四十四日日「熊野本宮の湯の峰に辿り着いた。
湯治すること四十九日、餓⻤阿弥は元の雄々しい小栗の姿に蘇ったのである。
夢から覚めた思いで、小栗は熊野三山に詣で、山中で熊野権現から杖を授かる。
都に戻った小栗は、帝から美濃国を拝領し国守となった。そして照手の働く遊女宿に上がる。小栗は「常陸小萩」の酌を希望する。国守を小栗とは知らない照手はが酌にでると、小栗が照手を見つめ自分の身の上を語りだした。すると照手は黙ってむせぴ泣き出した。
こうして二人は再会し、幸せになったという。
熊野古道と小栗の物語
湯峰には、小栗が蘇生したとされているつぼ湯、餓⻤阿弥を乗せた土車を埋めた「車塚」、小栗が復活後、力を試したという「力石」などが残っている。
小栗が髪を結わえていたわらを捨てた場所には、籾を蒔かなくても稲穂が実るという「蒔かずの稲」など、物語がいかに深く熊野詣での人々に親しまれており、熊野ではどんなに傷ついた肉体も魂も再生しうることを語っている。
WEB熊野本宮より