音源
Songs
田植え踊り「大仙登りの歌」
たうえおどり「だいせんのぼりのうた」
歌詞
Lyrics
「大仙登りの歌」
大仙の下山様何御座る
白尾の狐が八つ御座るこ
〇大仙の下山には金の御平こそな
うちらも拝んだよ金の御平
大仙の御寺寺が何ぼ有る
お寺寺は四十二ヶ所
大仙の坂木が元に出る水は
御寺々の御付の水
大仙の手習子供が何をかく
諸国牛馬の供をかく山す
大仙のお山に生たる姫ざさは
諸国牛馬のごふのささ
大仙お山に生るきりも草
病の根をきる切りも草
今日の田の代かくこまはなん匹か
代かくこまは千匹よ
今日の田のこまおい揃えてかく折は(何とかく)
なんとかく鶴のすごもりこまやかに
代かくこまをまたどこどこへつないだ
___
早乙女の笠の端がどこどこでそろうた
丹後但馬田所の京の町に
早乙女が上手やら笠の端がそろうた
サゲさまが上手やら笠の端がよ
早乙女が前田に降りて何をする
何をするまずサンバイの田植えする
「ねり唄」
さて今日の若早乙女さん よく聞きなされ
若早乙女は 上早乙女の間に__
上早乙女の教えを守り まず第一に
田の畦踏むな 田の畦__は
田の神さまの お遊びどころ
さてその次は あと口踏むな 田のあと口は
田の神さまの おやすみどころ
さてその次は 深ざお植えな まねき田も植えな
ふせ田も植えな 一本もないように植たまえ
ヤーハーレナ
若早乙女はもろともに
道行く人も立ち止まる
今日の田の若早乙女の植え姿
五月野に咲く雪の花
先ず今日のおなり人様をどこから頼む、是より
おくの峠を越へて出雲の国の大東町の町真中の
在家の娘おり姫様をおなりに頼む、年十六で、
さてよいきりょう、十二ひとへに我身をかざり、
白い笠で白い顔で、東の書院に腰かけて、腰掛
けて、朝日のさすのを待つばかりいる(待ち受ける)
おなり人が門まで駒で門からは
門からおかごで迎へとるん
おなりうど迎える駒は何駒か
全々足毛の馬雲雀
おなり人が門まで来るには何で来る
門まで来るには馬で来る
おなりうどまで馬で迎えたが
門から内へはかちで来る
おなり人召したる湯衣は何湯衣
一町小紋の染め湯衣
おなりうど召したる小袖は何小袖
かのこの振袖朱子の帯
十七が蔵のかぎ手に持ちどの歳に
千だん倉の戶をひらく手
十七が千だん倉のどのはいか
千だん倉の中のはい
十七が玄米俵をかたぎ出す口をとく
⻩金の升はかりだすり
高砂や尾上の松を切り倒しもとは臼
其の枝に枝をきねにする
昼ま米をなでるやら十二から教えての
嫁ごさん出ても見やれ十二からよ
十七が昼間の米をとぐ折りは
花ぞめたすきを〆かけて
十七が十二のかまでとぎ上て
先ず三拝のまゝを焚く
今日の田の田主の家方をながむれば
八棟造り__
今日の田の田主の花壇をながむれば
牡丹芍薬百合の花
今日の田の田主の泉水をながむれば
鯉鮒金魚が舞あそぶ
今日の田の田主のみとこの
七福神がすえてある
一日のちぎりをこめたる 皆様と
万事は別れるのならい
田の神を今こそ送る天笠に
十二の干支の真中に
田の神を納めておいて拝むには
紅い扇を差し上げて
神の月諸国の神が国たちて
出雲国へと集まりて
霜月は高山見れば美しや
雪や永が張りとじて
師走には年なる門に松を立て
〆張り廻して神迎え
十七がまだ田も済まぬに足洗う
我が家に帰りて硯出す
十七が硯出す水は何をする
硯の水は涙なり
十七が筆噛み締めてなんと書く
一筆しめし参らせ候 (いついつ嫁に?)
十七が書いたる文を渡すには
__渡す
とびとび舞え舞え
それをついでに腰にしよう
一部「岡山の⺠謡 緊急調査報告書」「哲⻄の⺠謡」より
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 神郷 |
|---|---|
| 伝承者 | 千原よしみ |
| 詞型 | 本節(上)5755,(下)575 |
解説
Commentary
太鼓田植は、古くは田楽(でんがく)として平安時代から伝えられるものとされる。田植歌は、田の神への豊作祈願(ほうさくきがん)の意を込め、地区の共同労働の習俗と結びあって発達した。昭和30年(1955)頃まで神郷地区や哲⻄町地区では田植歌が聞こえた。早朝、牛を使って田を均等にならし(しろかき)、さらに柄(え)ぶりを使って平(たい)らにする。その後、太鼓を打って音頭をとる人を「サゲ」と呼び、帯で体の前に支えた太鼓を両手のバチで打ちながら唄うと、早乙女(さおとめ)がこれに和(か)し、苗を植える。唄は、「朝のうた」からはじまり、続いて「田の神」、「大山登り」となり、昼が近づくと「昼前のうた」となる。午後は、「酒つくり」、「京のぼり」、「田主(たぬし)のやかた」等が唄われ、「夕方のうた」を唄い終わると一日の作業も終了する。
「にいみデジタル博物館」より
太鼓や歌の囃子に合せて共同で田植えをし、併せて鳥取県にある名峰伯耆大山の牛馬守護信仰を背景に農作業で使った牛馬の供養も行う行事である。
楽器や歌で囃す田植は平安時代の『栄花物語』などにみらる。
田植え唄の伝統は韓国、中国、東南アジアをはじめ、労作唄として広く歌われている。
新見哲西の高齢者いわく、囃し田は昔、男女の出会いの場でもあり、田植えをする早乙女の手際の良さを見比べて、嫁を探す者たちは品定めをしていたそうだ。げんに、早乙女のタスキや帯の色は既婚者と未婚者とに色分けされていた、とのこと。
嫁さだめの第一条件に「手際の良さ」を重視したのは、家での仕事をまかせた時のためであり、やはり働き者が好まれた。
盆踊りにも「田植え踊り」として踊られている。
昔は田植えが近づくとどの家もタウエゴを用意したもので、とくに娘や新嫁は紺絣(こんすがり)の着物や赤いおこし(腰巻き)を新調した。また帯の一部にも美しい布などをつけて飾り、赤だすき・手拭い・脚絆(きゃはん)にいたるまで気を配った。こうして盛装した早乙女たちは、サゲ(左肩から下へ帯で太鼓をつり支え、太鼓を打ちながら音頭をとる男)の打つ太鼓に合わせて唄を歌いながら苗を植えたもので、これを大田植えとか太鼓田などと呼んでいる。
ところで奥備中の⻄北部地方(とくに荒戶山麓周辺)では田植えを始める前にサンバイオロシの行事を行う。サンバイオロシというのは三角形に近い小さな田んぼ(三角みすまのクボ)を選び、代かきがすむと栗の枝とカヤの穂をそれぞれ十二本(閏年十三本)合わせ束ねて竹か木にしばりつけ、これを田んぼの一角に立てて森をつくる。そして森の横には苗三把をおき、飯や神酒などを膳にのせて供えたあと、早乙女はこの苗を取って十二株(閏年は十三株)植える。
田植え唄は普通、太鼓を入れるのと入れないのとがあって、例えば山田のような狭い田んぼでは太鼓を入れなかったという。しかしいずれにしても田植え唄は、田植え作業の変化に伴ってしだいにすたれ、サンバイオロシの行事とともに昭和三十年ごろから姿を消してしまった。
「奥備中の⺠謡」