音源
Songs
大仙供養田植「大仙登りの歌」
だいせんくようたうえ「だいせんのぼりのうた」
歌詞
Lyrics
中部地区 大仙供養田植 大仙登りの歌
ほら恋しくば(* 「やあはれな」) 尋ねてござれ(◎女「あらさのこらさい」)米子まで(*)米子まで(※「やあはれ」)
米子まで(※) 米子の町の真ん中に
ほら米子へは(*) 諸国の人が(◎) 尋ね来る(*) 尋ね来る (※)
尋ね来る (※) 大仙お山と尋ね来る
ほら米子から(*)大仙お山へ(◎) 何程ある(*) 何程ある (※)
何程ある (*) 大仙お山へ五里ござる
ほら大仙の(*) お山に登る(◎) 何時登る(*) 何時登る(※)
何時登る (※) 朝こり取りで今朝登る
ほら大仙の(*) お山に登る (◎)教えあり(*) 教えあり(※)
教えあり(※) 先ず教えには六地蔵
ほら大仙の(*) お山に登る(◎) 姫駒は(*) 姫駒は(※)
姫駒は(※) だんなる原で汗をかく
ほら大仙の(*) 横手に上がりて(◎) 沖見れば (*) 沖見れば(※)
沖見れば(※) 米子が見えます夜見が浜
ほら大仙の(*) 唐金鳥居は(◎) 誰寄進 (*) 誰寄進(※)
誰寄進 (※) 松江の殿の御寄進よ
飛び飛び前々
そうりょうついでにこうしみしょ
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 神郷中部支部 |
|---|---|
| 伝承者 | 口説き:千原栄、千原和枝、赤木安美、福原桂子 |
| 詞型 | 本節(上)5755,(下)575 |
解説
Commentary
太鼓田植は、古くは田楽(でんがく)として平安時代から伝えられるものとされる。田植歌は、田の神への豊作祈願(ほうさくきがん)の意を込め、地区の共同労働の習俗と結びあって発達した。昭和30年(1955)頃まで神郷地区や哲⻄町地区では田植歌が聞こえた。早朝、牛を使って田を均等にならし(しろかき)、さらに柄(え)ぶりを使って平(たい)らにする。その後、太鼓を打って音頭をとる人を「サゲ」と呼び、帯で体の前に支えた太鼓を両手のバチで打ちながら唄うと、早乙女(さおとめ)がこれに和(か)し、苗を植える。唄は、「朝のうた」からはじまり、続いて「田の神」、「大山登り」となり、昼が近づくと「昼前のうた」となる。午後は、「酒つくり」、「京のぼり」、「田主(たぬし)のやかた」等が唄われ、「夕方のうた」を唄い終わると一日の作業も終了する。
「にいみデジタル博物館」より
太鼓や歌の囃子に合せて共同で田植えをし、併せて鳥取県にある名峰伯耆大山の牛馬守護信仰を背景に農作業で使った牛馬の供養も行う行事である。
楽器や歌で囃す田植は平安時代の『栄花物語』などにみらる。
田植え唄の伝統は韓国、中国、東南アジアをはじめ、労作唄として広く歌われている。
新見哲西の高齢者いわく、囃し田は昔、男女の出会いの場でもあり、田植えをする早乙女の手際の良さを見比べて、嫁を探す者たちは品定めをしていたそうだ。げんに、早乙女のタスキや帯の色は既婚者と未婚者とに色分けされていた、とのこと。
嫁さだめの第一条件に「手際の良さ」を重視したのは、家での仕事をまかせた時のためであり、やはり働き者が好まれた。
盆踊りにも「田植え踊り」として踊られている。