音源
Songs
山ずくし「お染せきさの口説き」
やまずくし「おそめせきさのくどき」
歌詞
Lyrics
高瀬地区 山ずくし お染せきさの口説き
国はナァ播州高砂やで尾の上のまちではナァ名も高い
ハァお染ナァせきさを申しましょう(*)「こらさのさぁ」
一丁下がりし二丁下がりこりゃまた(◎ 「さのやんはとなやんはとな」)
三丁下がりし下の町柳小路の糸屋とて(◎) そこのナァ子供がおとどいござる(*)
兄のナァ関佐が十八で(◎)ハァ妹のお染が十六で(*)
妹のお染がナァ器量が良うて (◎) 兄のナァ関佐が目をかける (*)
雨のナァ降る日もナァ降らぬ日も (◎)ハァ風の吹くの日(よ)も吹かぬ日(よ)も(*)
通いナァつめたるナァその揚げ句 (◎) ハァ妻にナァなれなれとせりかける(*)
そこでナァ妹がナァ腹を立て (◎) ハァもうしナァ兄さん関佐さん(*)
私とあなたはナァおとどいで (◎) ハァ村のナァ若い衆これ聞けば(*)
犬だナァ畜生だと笑われる (◎) ハァ言えばナァ関佐が言う事にゃ(*)
もののナァ例をナァ言うて聞かしょ (◎) ハァとんとナァ昔のその昔 (*)
まだもナァ昔のナァその昔(◎) ハァ七日七夜の火の雨で(*)
三千世界がナァ皆焼けて(◎) たったナァおとどい焼け残り(*)
白木の櫛をばナァ取りかわし (◎) ハァそれが夫婦ななりたそな (*)
言えばナァ妹がナァ理に負ける (◎) ハァ私も十六女の盛り(*)
二世を交わしたナァ主がある(◎) ハァ医者のナァせがれの伝三さん(*)
伝三ナァ許してナァおくれたら(◎) ハァ妻になりましょ添いましょう(*)
今宵ナァ九つナァ夜中頃(◎) ハァ私の部屋にとしのぶはず(*)
言えば関佐が承知して(◎) ハア裏の木陰で待ちうける(*)
やがてナァ来かかる人がある(◎) ハァ関佐ナァやにわに二太刀三太刀(*)
倒れし姿をナァよくよく見れば(◎) ハァ愛しい娘のお染の姿(*)
そこでナァ関佐がナァ驚いて(◎) ハァ返す刀で我が身を刺いて(*)
おとどい心中はナァもうこれまでよ(◎)
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 神郷高瀬 |
|---|---|
| 伝承者 | 口説き:四木覚、長谷川昌誉、田辺薫明 |
| 詞型 | 7575 |
解説
Commentary
「きょうだい心中」「おとどい心中」「けいまい心中」などと全国で謡われている。
「おきよ紋兵衛」が有名。舞台は近江の野々市町だが筋書きはほぼ同じ。
「お染と関佐」なる人物に関してはどこから来たのかわからない。
同じ心中ものの「お染久松」、または落語の「品川心中」に見られるように、「お染」といえば心中ものとなっていたのかもしれない。
「お染久松」は実際にあった事件をもとにしている。宝永7年(1710年)正月6日に、大坂板屋橋(いたやばし)の南詰(みなみづめ)にあった油問屋の細工場(さいくば)で、丁稚(でっち)の久松が主人の娘そめと刃で心中した。
三千世界(さんぜん-せかい)
全宇宙、この世のすべて。仏教でいう世界観で、須弥山しゅみせんを中心に、周囲に四大洲があり、その周りに九山八海があり、われわれの住む小世界を形成し、この一つの世界を千合わせたものを小千世界、小千世界を千合わせて中千世界、さらに中千世界を千合わせて大千世界。この大千世界は千が三つ重なるので三千大世界、略して三千世界という。この三千世界が一仏の教化の及ぶ範囲とされた。俗に世間の意に用いられることもある。
古来から櫛と婚姻の関係は深く、『古事記』においてイザナギは、妻のイザナミが差し向けた追っ手から逃れるために、櫛の⻭を後ろに投げ捨てたところ、櫛が筍に変わり難を逃れている。又、ヤマタノオロチ退治でスサノオを助けた稲田姫も櫛との縁がある。
奇稲田姫(くしなだひめ)
記紀の八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話に出てくる乙女。脚摩乳(あしなずち)・手摩乳(てなずち)の娘でその名は稲田の豊饒をあらわしている。年ごとにやってきて娘(=稲田)を食う大蛇の犠牲となろうとしたところを,素戔嗚(すさのお)尊によって櫛に変身させられて救われ,のち出雲の須賀の宮を定めたスサノオの妻となる。《出雲国風土記》に見える久志伊奈太美等与麻奴良比売(くしいなだみとよまぬらひめ)も同じく稲田の化身と考えられる。執筆者:阪下圭八
出典株式会社平凡社「改訂新版世界大百科事典」
山づくし
『〜づくし』とはもとは即興詩での唄という意味であった。
「日本⺠謡大観中国篇」いわく鳥取で盛んな「ヤンハートナー」系統の盆踊り。
新見に近い島根県の南東部でも「山づくし」として踊られている。
調べた結果、隠岐と奥出雲町三成では「山くずし」と呼ばれている。歌詞の中にかんな流しを揶揄する文句がある。出雲町荒茅では「荒茅盆踊り」と呼ばれる。
隠岐の盆踊り「山くずし」(浦郷)
〽アー山崩せ(アラセ)
山を崩して田にしましょ(アラヤーハットナーヤーハットナー)
サテ田にしましょ(アラセ)
山を崩して田にしましょ(アラヤーハットナーヤーハットナー)
〽盆の十六日ゃめでたい月夜子持ち姿も出て踊れ
出て踊れ子持ち姿も出て踊れ
〽夕べ夜這い人が百四十と五人させにゃ名が立つ皆させた
皆させたさせにゃ名が立つ皆させた
〽天の星さえ夜這いに行くに地下の若い衆に無理はない
無理はない地下の若い衆に無理はない
〽女子友達高嶺の花よ盛り過ぎたらチラバラと
ちらばらと盛り過ぎたらチラバラと
三成盆踊り(やまくずし・鈴木主水)古くから火難除けの神として崇敬される愛宕神社の夏祭りは300年余の伝統をもつ。「幻の一夜城」が愛宕山に出現し、参道の灯明とともに幻想的な眺めとなる。
子供みこしや神楽などの仁輪加が町を練り歩き、花火などの催し物で賑わう雲南地方屈指の祭りで踊られる盆踊歌謡である。
かなやごたたら製鉄の総本山「金屋子神社」のある安来市比田には「山くずし」の口説きに、たたら製鉄にまつわる物語があります。
安部屋口説(金屋子口説き、七五調やまづくし)たてあき
享和二年(1802年)、金屋子神社神官の帯刀旦那(二十九才)と市原たたら商の娘おふささん(二十四才)は、夫婦になる約束を交しましたが、身分の違いからどちらの親からも反対されました。おふささんは勘当を受け、二人は手に手を取って真夜中、市原峠を越え横田の岩屋寺を目指しました。
途中鳥上の小川原という家で休息されていましたが、二人を追って来た⻄比田古市の庄屋弥平さんに説得され、一緒に金屋子神社まで帰りましたが、結局結婚は許されず二人とも亡くなりました。これを「安部屋口説」としてまとめ、盆に唄い踊って二人の霊を慰めたことでしょう。
「島根・安来比田たたらの里盆唄」より
金屋子神社
広瀬町の最奥部⻄比田の重畳たる中国山地の小盆地に鎮座し、広瀬町の中心部から約25km南方にあたる。当社は数度の火災により、文献その他殆ど焼失してしまったので、その由来などは明らではないが、遠く上古の神話に端を発し、祭神金山彦神(かなやまひこのかみ)、金山姫神(かなやまひめのかみ)のほか15柱を祀り、古来タタラ製鉄七守護神として知られる。
金屋子さんの名のもとにその信仰圏は広く、往時は山陰、山陽および大阪地方における製鉄業者の信仰が厚く、旧藩時代においても代々の藩主は、社殿の造営や祭祀等に奉仕し、多くの寄付をするという慣例があった。
安政5年(1858)の祭礼の日、火災のため宮殿を焼失し、現在の社殿はその後の建立によるものであるが、その造りの壮麗なことは近隣に比類を見ない(県指定文化財)。ことに拝殿内のケヤキの一枚戶の龍の彫刻は荒川⻲⻫(きさい)の作で、たびたび拝殿をゆさぶったとの言い伝えがある。
金屋子神社は諸国に分祠をつくり、出雲、伯耆、備後、石見にわたって22社を数える。そのほか諸国の鍛冶鋳物師の間でも、その職場には必ず金屋子神を勧請し、本社の祭礼(4月21日)には遠近にかかわらずこの地に足を運んだといわれる。
「盆踊りのこと」四木覚(さとる)
現在高瀬地方で行われている盆踊りは高勝盆踊りといって、伝承では起源は相当古く天正年間であり、天正年間といっても1573年から1591年まで続き、はっきり天正何年であるかはわからない。
伝承では天正3年1575年の勝ケ城主に安原彦左衛門吉⺠部という人があり、この人は毛利氏に属しており、当時高瀬村に大悪疫が流行して困りはて、ちょうど高瀬の梅田に⻲の形をした⻲尾という平地の中島があり、ここに12神を祀り権現様とした。これが現在の⻲尾神社である。(その時毛利方の名主達が協力したので、名頭10名となって宮座の式が行われ現在に至る。その頃五穀豊穣も祀願し、この盆踊りが始まった。)
一方、高瀬村の平稔祀願のため盆踊りを起こしたと伝えられる。これが現在まで続いているのであり、約400年以上前のことである。
また、高勝盆踊りの名称は後から地域の人が称したとされ、踊りには1ばんば、2まつえ、3山づくし、4こだいじ、5てんがらこう、6さんこうと6つの踊りから成り、昔は全部踊っていた。今では他の踊りもあるので2まつえ3山づくし5てんがらこうの三つのみ踊っている。
ちなみに天正3年は新見市坂本の杠城城(ゆずりは)が落城し、城主三村元範が高尾の早乙女岩で戦死したのは有名であり、また新見荘の機能が事実上解体したのも同年である。
ごんげん-さま【権現様】.「権現」を敬っていう語。徳川家康を敬っていう語。また、家康を祭った東照宮のこと。