音源

Songs

砂掻き「苅萱かるかや石童丸」

すなかき「かるかや いしどうまる」

砂掻き「俊徳丸」

すなかき「しゅんとくまる」

歌詞

Lyrics

上油野地区 砂掻き「苅萱」 「石童丸」

(*「さあよいのさこりゃよいやさのさ」)

わしがナァ出たとて取るのじゃないが(◎ 「どっこいしょ」) 先の先生の煙草の間 (*)
少々ナァばかりの声継ぎします(◎) 先の先生は何処のどなた (*)
声もナァよう出る節うらやかに (◎) わしの音頭は細谷川の (*)
竹のナァ丸橋丸⻭の下駄で (◎) カラリ、コロリと渡るが如く (*)
⻭抜けの婆さん豆噛むように(◎) ポツリポツリと口説いてみましょう(*)
過ぎにし昔のその物語 (◎) 国な紀州でその名も高き(*)
峰にナァ紫雲の棚引きまして (◎) 高野山とて尊い山よ(*)
哀れなるかや石童丸は(◎)かかる難所をたどたど歩み (*)
顔もナァ知らざる父上様が (◎) ここのお山におわすと聞いて(*)
訪ねさまよう行谷道の(◎) 後や先なる行手は岩場 (*)
左手はあまの木曽山おろし (◎) 不動の坂おば見上げて通る (*)
鳥もナァ通わぬ丸太橋渡り (◎) 心細道頼りの杖で (*)
身おば任せて行く先問えど (◎) 松の木陰に腰掛け給う(*)
加藤左衛門重氏様は(◎) 髪を下ろして名も苅萱と(*)
変えて仏法修業の為に(◎) 昼夜に限らずこの山坂を (*)
たどりゆくのも皆後の世の(◎) 親子奇縁か石童丸は(*)
そばにナァ思わず立ちより給い (◎) 申し上げます御出家様よ(*)
ここのナァお山に今道心の(◎) おわしますならお教えたべと (*)
聞いてナァ苅萱御坊の仰せ(◎) 昨日添ったも今道心で(*)
去年添ったも今道心よ (◎)御身訪ねるその人さんの(*)
俗の名を言い訪ねてかろ (◎) 訪ねまするは父上様よ (*)
我らナァ二つのその年別れ(◎) 元は筑紫の松浦島で(*)
加藤左衛門重氏様と(◎) 聞いて驚き我が子であるが(*)
すでにナァ取り付き給わんものと(◎) 思う心をようよう静め(*)
苅萱次第はまだまだあれど (◎) 余り⻑いも切ない程に(*)
次の音頭さんよ早よう出ておくれ(◎) 心やすやす受け取りなされ(*)
わたしゃナァやめますここの節限り (◎)


砂掻き 「俊徳丸」

囃子 ヨイショ(コラ/ハイ) / ハーヨイトサッサー ヨイトサノサ

さあさあ皆様夏の夕べのひと時を
愉快に愉快で踊りましょうか
わしが音頭が下手ではあるが
どうかよろしゅうにゃお願いもうす
それじゃこれから文句と変えて
文句数々数ある中で
俊徳丸の__伝
踊り子さんの囃子にのせて
覚えましたるあらすじを
踊り子さんの囃子にのせて
国はどこよ河内国で
のぶよし⻑者の一子に生まれ
⻑者よ花よで育ててもらい
俊徳五つになる年に
幸か不幸かと不幸と言おうか
あわれや母ごにゃ死に別れ
俊徳七つになる年に
後妻におすわをもらわれて
音若連れて二度のえん
果てはおすわも来てみれば
我が子にゃ相続させたさにゃ
さすれば俊徳いらぬもの
___
さては俊徳殺そうと
どうして殺そうか思案にゃくれる
刃物で殺せば傷がつく
毒で殺さば色変わる
呪い殺そうと思いたつ
ある日我妻夫に向かい
生まれ在所に用あるゆえに
暇をおくれ二、三日
そんなこととは夢にも知らず
暇をやるぞや二、三日
言えばおそわは喜びまして
泉州さかへに急がれる
鍛冶屋清兵衛にたずねいき
ごめんなされとうちに入り

なんの御用かと両手をつけば
わしが来たのは他でもないが
お前見込んでたのみがござる
帽子のない釘お願いもうす
__おくれや今宵のうちに
聞いて清兵衛思案に暮れる
帽子ない釘や呪いの釘や
それと__
____清兵衛に向かい
わしの頼みがきかれぬなれば
いつぞや貸したる__の金を
利子をそろえて今すぐかやせ
聞いて清兵衛思案にくれる
__の辛さにゃ金できず
___ならないはめよ
清兵衛仏間に入られて
親の__両手をついて
もうしよりましょ両親さまよ
__の辛さにゃ金の呪いの釘を
打てたたにゃならないよ
許したまえよ__さま

基本情報

Metadata

伝承地神郷上油野
伝承者1)口説き:達定、西下嘉寿男、松原忠雄 2)槙原兼三郎
詞型7777

解説

Commentary

砂掻き(または、さんこ)

新見市の盆踊りの中で一番軽快なナンバー。

踊りの中に足で砂(地面)を後ろに掻く動作があるためという説がある。古い型のさんこ節※から派生したのではとも考えられている。

※淀江さんこ節の起源は諸説あるが、淀江は古くから港町として栄え、北前船で寄港した船乗り衆が歌う各地の⺠謡と、淀江古来の⺠謡が融合して誕生したと言われている。幕末から明治にかけて、港町淀江の酒席で大流行した郷土⺠謡で、三味線・太鼓などに合わせて賑やかに歌われ、七七七五調の歌詞は今もなお、古い調べを残している。やがて、軽快な曲のテンポに合わせて、左官さんが土壁を塗りあげる情景を滑稽に演じる仕種踊り「壁塗りさんこ」が踊られるようになり、酒席だけでなく、棟上げや結婚などの祝宴でも披露されるようになったと考えられる。その後、和傘の産地としても知られる淀江では「傘踊り」「銭太鼓」も取り入れられてきた。淀江さんこ節はお座敷唄だけでなく、盆踊り唄、子守り唄、田植え唄などもあったと伝えられ、労働歌としての側面も持つ唄と言える。
鳥取伝統芸能アーカイブスより


石童丸イシドウマル

[一]和歌山県高野山の苅萱(かるかや)堂や、⻑野市安楽山の往生寺の縁起などに伝わる人物。「苅萱堂縁起」によると一二世紀後半の人で、筑前(福岡県)苅萱の武士加藤繁氏の子。出家して苅萱道心となった父を、母と共に高野山にたずねるが、父は名乗りをせずに別れる。母に死別したのち再び高野山に登り苅萱の弟子となる。

[二]説経節「苅萱(かるかや)」の別名。作者未詳。江戶初期成る。

[三]琵琶の歌曲。説経節「苅萱」に取材し、二種類ある。薩摩琵琶では、明治中期に四竈訥治(しかまとつじ)作歌、吉水経和作曲。後に永田錦心が改良。錦心流の代表曲。筑前琵琶では、初代橘旭翁(一八四八‐一九一九)が薩摩琵琶に新しく節づけしたもの。橘流奥伝の一つ。
出典精選版日本国語大辞典


苅萱石童丸物語

あらすじ

加藤左衛門尉繁氏は、妻と妾の嫉妬心を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨て都にのぼり、法然に出会って出家・得度した。苅萱道心と名のった繁氏は高野山に登った。

息子石童丸は、母とともに父を探して高野山に向かった。女人禁制のため母は麓の宿に待ち、石童丸が一人山に登った。石童丸が山上で偶然に出会った僧は父繁氏であったが、わが子と気づいた苅萱道心は父と名乗らず、その人物はすでに死んだと告げた。

悲しみの中石童丸が山を下りると、母は⻑旅の疲れで他界していた。失意の石童丸は再び高野山に登り、苅萱同心の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えた。
和歌山県立博物館ホームページより


俊徳丸

俊徳丸は、「俊徳丸伝説」で語られる伝承上の人物。河内国高安の⻑者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の筋で、この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』などが生まれた。

あらすじ

河内国高安の山畑(現在の八尾市山畑地区あたり)にいたとされる信吉⻑者には⻑年子供がいなかったが、清水観音に願をかけることでようやく子供をもうける。俊徳丸と名付けられた子は容姿が良く、頭も良い若者で、そのため四天王寺の稚児舞楽を演じることとなった。この舞楽を見た隣村の蔭山⻑者の娘・乙姫は俊徳丸に魅かれた。二人は恋に落ち、将来、一緒になることを願うようになった。しかし継母は自分の産んだ子を世継ぎにしたいと願ったため、俊徳丸は継母から憎まれ、ついには継母によって失明させられてしまった。さらに癩病にも侵され、家から追い出されてしまい、行きついたのは四天王寺であった。そこで俊徳丸は物乞いしながら何とか食いつなぐというような状態にまでなり果てた。この話を村人から伝え聞いた蔭山⻑者の娘は四天王寺に出かけ、ついに俊徳丸を見つけ出して再会することとなった。二人が涙ながらに観音菩薩に祈願したところ、俊徳丸の病気は治り、二人は昔の約束どおり夫婦となって蔭山⻑者の家を相続して幸福な人生を送ったとされる。それに引き換え、山畑の信吉⻑者の家は、信吉の死後、家運が急に衰退し、継母は物乞いとなり、最後には蔭山⻑者の施しを受けなくてはならないような状態になったという。

Not Found 楽曲が再生されるのを待っています #新見 #盆踊り
00:00
00:00