音源

Songs

ヤンサ

やんさ

ヤンサについての雑談

やんさについてのざつだん

歌詞

Lyrics

恵比寿大黑 出雲の国の
⻄と東の守神 アラヨーホイ

こんな娘が わし見て笑うた
わしも見てやれ 笑うてやれ

基本情報

Metadata

伝承地神郷下神代
伝承者地元有志
年代1987~1988
録音者横山孝史
詞型7775

解説

Commentary

稲の刈取りがすんで、村祭りがはじまる頃から神楽が催される。頭屋の縁先に陣取った若い衆は、ほおかむりをしたり、帽子を深くかむって顔をかくし、歌をうたって神楽を催促し、舞をほめ賑やにさわぐ。広島県では「舞せぎ歌」または「せり歌」という。哲⻄町では「こだいじ」とか「ヤンサ」を押すという。
「哲⻄の⺠謡1」より


越後瞽女(ごぜ)達が唄い広めた「新保広大寺節」は、江戶時代の五大流行唄の筆頭ともいわれています。北上した越後瞽女は、山形、秋田、⻘森、北海道と唄い歩き、そして「津軽じょんがら節」、「口説節」(くどきぶし)、「道南口説」、「北海道鱈つり唄」などに流れ継がれていきました。関東方面に上京した越後瞽女によって、このザレ歌は上州風土に合う「木崎音頭」、「八木節」へと変じていったといわれています。南下した越後瞽女は、信州路から甲州路や中仙道へと唄い歩き、「古代神」(こだいじん)、「⻨屋節」に変化や影響を与えました。また、三国峠を越えて「八木節」や「船屋唄」のルーツとなり、北へ向かって秋田⺠謡に影響を与え、⻘森で「津軽じょんがら節」を生み、更に⻄へ向かっては、中国地方の⺠謡「古代神」の元唄となり、全国各地の「口説」の源流となっています。
「新潟県十日町市博物館ホームページ」より


越後瞽女(えちごごぜ)が門付(かどづけ)の軒先で歌う『こうといな』あたりが元と思われる。この背景をたどると、新潟県十日町市下組(しもぐみ)新保にある禅寺の広大禅寺14代目の白岩亮端和尚(おしょう)の時代、信濃(しなの)川の中州の耕作権をめぐって、寺島新田と上ノ島新田の農⺠が対立した事件にいきあたる。寺は寺島新田側につき、一方上ノ島新田側には縮(ちぢみ)問屋の組合頭・最上屋(もがみや)上村藤右衛門邦好がついて、ついには寺と最上屋の争いになってしまった。そこで最上屋は寺の和尚を追い出すことを考え、先の『こうといな』あたりを元に、和尚の悪口唄の替え唄をつくらせ、瞽女をはじめとする遊芸人から反対派の農⺠にまで歌わせた。それは1782〜83年(天明2〜3)のことで、そのときの歌詞が「新保広大寺メクリこいて負けた」とか「新保広大寺の和讃(わさん)のなかに色という字が......」といったものであったことから『新保広大寺』とよばれるようになった。
これはのちに瞽女の手で七七七七の4句を一単位にして、必要なだけ繰り返して歌う⻑編の「口説節(くどきぶし)」に形が変えられると、読売りや飴(あめ)売りなどの手を経て諸国に広まり始め、『八木節(やぎぶし)』(群馬県)、『秋田飴売唄』(秋田県)、『津軽じょんがら節』(⻘森県)、『道南口説』(北海道)などになっていった。[竹内勉]
「出典小学館日本大百科全書(ニッポニカ)」より


夜神楽の中休みの曲目で演じられる。「せり唄」「こだいじ」「こだいず」「サーノエ」などと呼ば
れる。

中国地方では「古代神」「皇太神」「広大寺」「こだいじ」などの呼び名で盆踊りの曲にも見られる。

Not Found 楽曲が再生されるのを待っています #新見 #盆踊り
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