音源
Songs
熊谷直実・須磨の嵐
くまがいなおざね・すまのあらし
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 神郷油野 |
|---|---|
| 伝承者 | 藤原たかよ |
| 年代 | 1987~1988 |
| 録音者 | 横山孝史 |
解説
Commentary
須磨の嵐
『平家物語・巻第九・敦盛最後』を、分かりやすくまとめたもの。明治中期に軍歌として作られたが、その歌詞を山登万和が箏曲に作曲した。勇ましい戦を想像させる手事と、武士の務めとは言え、わが子と同年輩の高貴な公達敦盛の命を奪うめぐり合わせになってしまった熊谷直実の悲しく辛い心情を描く歌の部分が、対照的に作られている。
熊谷直実
熊谷直実は、熊谷(現在の埼玉県熊谷市)の館で永治元年(1141)2月15日に生まれた。後に保元・平治の乱で名を馳せた武蔵武士である。一ノ谷の合戦で、平家の館に一番乗りをし、須磨の浦において平敦盛を討ち取ったことなど、平家物語を通して知られている。
熊谷駅北口広場に、「直実挙扇図」渡辺華山の図を元にした、北村⻄望作の直実像がある。台座には「熊谷の花も実もある武士道のかおり高し須磨の浦風」作者の歌が刻まれている。
建久3年、直実52歳の時に武士を捨てて仏門に入り、名を「蓮生坊」とした。翌、建久4年には京に上り、法然の門下となり、名を「法力房蓮生」として仏道を修める。
建久9年、58歳の時、京都に粟生野に念仏三昧院(後の光明寺)を建立。
元久2年、直実65歳の時に熊谷に戻り、草庵を結ぶ。この地が熊谷寺のもととなった。
「一の谷の合戦」で平敦盛を討った直実は、敦盛を弔うために高野山(現在の和歌山県高野町)に熊谷寺を建てました。人を裏切り、手柄をたてることばかり考えていた自分の人生に怒りを覚え、むなしくなった直実は、仏門に入る決心をし、建久4年(1193)法然上人を訪ねました。
法然上人は、「どんな罪人でも阿弥陀さんを信じ、念仏を申せば必ず極楽往生できることに疑いはありません」と申されたので、直実は出家し、法然上人より「法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)」という名を与えられました。この名は という意味だそうです。
法然に入門してまもなく蓮生は、法然上人が生まれた岡山県久米南町に誕生寺という立派なお寺を創建しました。その後は京都と熊谷の間を行き来し、各地に多くの寺を作り、念仏の功徳を説いてきかせました。そして法然上人から「坂東の阿弥陀仏」と崇められた名僧となりました。