音源

Songs

祝言節

しゅうげんぶし

歌詞

Lyrics

嫁婿の出立の際一般の者が歌うもの

(一)
○今日はナ日もよし天気もよいし
結びナ合せて緑となるナヨ
○蝶よナ花よと育てた娘
今日はナ他人の手に渡すナヨ
○わたしゃナ行きます両親様よ
ながのナお世話になりましたナヨ
○我家ナ出るときゃ涙で出たが
マチとナ行きゃんせ主のそばナヨ
○ここはナ道中山中なれば
歌でナ愛嬌つかまつるナヨ
○門にナかかりて門番様よ
開けてナくだんせ門の戶をナヨ
○聞いてナ門番手に鍵持ちて
開きナますぞえ門の戶をナヨ
○簞笥ナ⻑持つづらの皮ご
渡しナますぞえ嫁ともにナヨ
○簞笥ナ⻑持つづらの皮ご
受取りナますぞえ嫁ともにナヨ

(二)
○今日はナ日もよし天気もよいし結びナ合せて縁となるナヨ
○蝶よナ花よと育てた娘今日はナ他人の手に渡すナヨ
○わたしゃナ行きます両親様よながのナお世話になりましたナヨ
○我家ナ出るときゃ涙で出たがマチとナ行きゃんせ主のそばナヨ
○ここはナ道中山中なれば歌でナ愛嬌つかまつるナヨ
○門にナかかりて門番様よ 開けてナくだんせ門の戶をナヨ
○聞いてナ門番手に鍵持ちて 開きナますぞえ門の戶をナヨ
○タンスナ⻑持つづらの皮ご渡しナますぞえ嫁ともにナヨ
○タンスナ⻑持つづらの皮ご受取りナますぞえ嫁ともにナヨ

(三)
①嫁婿の出立の際一般の者が歌うもの。
○うれしナめでたの 若松様は 枝がナ栄えて 葉が茂るナヨ
○松がナ栄えて お庭が暗い おろしナ上げます 一の枝ナヨ
○一のナ枝より 二の枝よりも 三のナ小枝が 邪魔になるナヨ
○わたしゃナ行きます 両親様よ ⻑のナお世話になりましたナヨ
○後をナ案ぜず さっさと行きゃれ 向うにゃナやさしい 親が待つナヨ
○我家ナ出る時は 涙で出ても 行けばナ五三の蔵の主ナヨ
○私はナ行きます 友達さまよ 後をナ宜しうに頼みますナヨ
○私はナ行きます 皆さんさらば 花のナ当所を後にしてナヨ

②道中で歌うもの
○ここはナ大坂 一人は越せぬ 待ちてナ殿御(嫁子)の手を引きやるナヨ
○ここはナ照れ照れ あいの山曇れ お杉ナお玉が日にやけるナヨ
○ここはナ播州の 舞子が浜よ もちと行かさりゃ 一の谷ナヨ
○ここはナ道中の 山中なれば 何のナあいそも 致しませぬヨ
○ここはナ廻れば 何処(先方の地名)が見える あれがナ嫁子(殿子)を待つの家ナヨ

③先方の組合に着いた時その組合の人が歌うもの。
○舅ナ大黑 姑恵比寿 ござるナ 嫁子は福の神ナヨ
○うれしナめでたが 三つ四つ五つ五つナ重なりゃ 五葉の松ナヨ

④先方へ着いた時こちらの人足が歌うもの
○来たぞナ うれしや 門まで来たぞ
えびすナ大黑 出むかひにナヨ
○こちのナ御家を 前から見れば 光りナ輝き 御光がさすナヨ
○鶴がナ舞います 御家の上を 御家ナ繁盛と 歌いますナヨ
○こちのナ御家の お庭の松に 鶴がナ巣をくみ 子を育つナヨ

⑤荷物を渡す時歌う。
○簞笥ナ⻑持 つづらや籠や 一切ナ荷物を 渡しますぞや

⑥荷物を受取る時歌う。
○簞笥ナ⻑持 つづらや籠や 一切ナ荷物を 受取りました ⻄のナ蔵にと お納めまして 恵比寿ナ大黑に 預けますぞや

⑦嫁・婿と荷物を渡し終った時歌う。
○千秋ナ万歳楽 思う事は叶うた 鶴がナ御門に巣をかけるナヨ
「哲⻄の⺠謡」より

基本情報

Metadata

伝承地新見菅生
詞型7775

解説

Commentary

祝言歌は⻑持歌ともいう。嫁取り、婿取りのとき歌う歌である。

塚本章夢

曲った畦道を嫁取りの列が進んでいる。それは暗い夜道であるが、ぽつぽつと続く提燈の列が動いている。嫁取りの道中歌がきこえてくる。このようなまことに素朴な情景がよく見られた。馬の背にゆられて来た花嫁が、受取る婿方からの歌が出ないような場合には、歌が出るまで馬から降りることができなかったという。このような風習は現在はほとんど失われ、祝言の座などで余興としてうたわれているだけである。
「哲⻄の⺠謡1」より

この唄は「祝言道中唄」とも「祝言唄」ともいわれ、嫁が生家を出るときから山坂を越えて行く道中、先方の家に着いて婚礼の式が始まるまで、決まった歌詞の順序で歌い、しかもそのときどきの条件によっては即興で、臨機応変に歌詞を替えて歌わねばならないなど、なかなか難しいものとされている。

また嫁方の唄と婿方の唄が掛け合いで歌われ、双方にそれぞれの歌い手がいて美声を競い合った。

いずれにしてもこの唄は、優美と哀調を帯びており、その場の情景にふさわしく、嫁が生家で別れの宴を終え、いよいよその座を立って縁側から下り、仲人や付き添い人、その他の人足たちが、出立ちのわらじ酒を飲み終わったころから始まる。
「奥備中の⺠謡」より


新見千屋の「牛追掛け唄」について

「昭和四十一年の秋、千屋牛の本場である新見市花見を訪ねたところ、現地で次のような話をきくことができた。すなわち、中国地方には、各地に残っている難し田」の変形としての「供養田植」という行事が行なわれてきた。この行事は六月の終りから七月にかけて、普通の田植が全く完了したあと、牛馬の安全と繁栄を祈り死んだ牛馬の供養として、その地区の共有田などで、「供養田」と呼ぶ祭りを行なう。この祭りの主催者は伯楽と呼ばれる獣医や博労が中心となって行ない、田の入ロには臨時の祭壇を作り、棚の上には、右に大山神社、左に牛頭天王を祀り、この間の幅二間、高さ一間半ほどの門から、飾り立てた近郷近在の牛を、神主と僧侶が祝詞と大般若経を読む間に、一頭ずつ田へ追い込み、代搔きをする。田の中では幣持ちが種々の図形に従って牛を動かす。そのあとサゲと早乙女が太鼓に合わせて賑やかに田植唄を謡って、田植が行なわれる。これが「供養田」で、この費用は、牛の所有者の寄付で賄われた。

この牛を追込む際、見物人達は、牛の供養と繁栄を願って、ロ々に祝唄を謡ったのである。ところがこの地方では、祝事にはかならず「松坂」が謡われてきただけに、牛の儀式にも「松坂」が流用されたのだろう。」

日本⺠謡大観から

「千屋牛追唄」は新見の千屋の「牛追掛け唄」を全国⺠謡調に尺八伴奏をつけ、アレンジを施したヴァージョンである。岡山市におられた尺八奏者 中川右汎(ゆうはん=本名:通夫)さんと全国⺠謡歌手の唄白瀬真志が編曲したものと見られる。中唄は相撲甚句を思わせる。

この音源では、編曲されたお二人の演奏が聞ける。新見では現在もこの歌を大切に歌い継いでいる。


供養田植え

伯耆大山を中心とした、伯耆・出雲・美作・備中北部・備後北部一帯の地方は、古くから牛馬安全の神・大山智明大権現(だいせんちみょうだいごんげん)(通称・大仙さん)への信仰が盛んだった地方である。

大山供養田植は、春秋の大仙祭りとは別に随時奇特な施主が主催して、不慮の死にあった牛馬の霊を供養し、現在飼育している牛馬の安全と五穀豊穣・家内安全を祈念する大規模な祭りである。田植おどり・供養行事・しろかき・田植太鼓・お礼納めの5行事からなる。発祥年月日は不明であるが、中世にかかれた「大山寺縁起絵巻」に供養田植の絵図が紹介されているので、すでに中世には行われていたものと思われる。
保存団体 小奴可地区芸能保存会

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