音源

Songs

てんがらこ「お吉清佐」「恋の阿里佐」

てんがらこ「おきちせいさ」「こいのありさ」

てんがらこ「恋の阿里佐」

てんがらこ「こいのありさ」

てんがらこ「お吉清佐」

てんがらこ「おきちせいさ」

歌詞

Lyrics

囃子 アラサコラサ
口上文句
わたしゃ当所へ初めて参る
当所の御作法よく知りませぬ
知らぬところは教えておくれ
切れたところはつないでおくれ
アジャラボジャラで夜も更けまする
何かとり出し踊ろじゃないか
何がよいかと思案にくれりゃ
思案半ばにほろりと出たは
ほろり出たのをコリャ幸いに
昔珍し心中ばなし
(以下口説きに入る)
(新見市正田・新見)


「お吉清佐」

国は京都で三条が町に
糸屋与右衛門四代目の盛り
家は繁昌 暮らしも豊か
お台所が鳴瀬の如く
手代番頭が七十と五人 せいざ 五人頭の清左というて
年は二十七元気の盛り
物もよう書く算そろばんも
何にかけてもぬからぬ男
ぬからなければ その家の娘
お吉十六 今咲く花か
花にかけて申するなれば
春はつつじか桜の花か
夏は涼しき朝顔の花
秋は紅葉に花蘭菊か
冬は水仙 たますだれ


「恋の阿里佐」

作詞:大池 貞治

春のそよ風井倉の峡に
そよりそよ吹きゃ可れんな花が
咲いていとしやいとしや阿里佐
大和れんぎょは悲恋の花よ
夏は⻘葉に秋あやにしき
人に知られた井倉の里に
ひなにまれなる乙女子阿里佐
年は十七引く手あまた
あまた引く手も楽しく茂作
いつか阿里佐の心を射止め
人目忍んで咲く恋の花
末は夫婦と楽しい日ごと
恋の花にも無惨や嵐

数里はなれた松山城に
蝶よ花よと育って二八
つぼりそめたる鶴姫さまが
紅葉狩りとて井倉の峡に
ちらと見初めて茂作の心
所せん高嶺の花とは知れど
消すに消されぬ凡夫の心
ある日茂作の姿が消える
阿里佐悲しや片羽の鳥は
待てど暮らせど帰らぬ人を
こがる思いに身はやつれゆき
月は三日月瀬音はむせび
山のカラスが不吉に鳴いて ふち
恋の屍渕えと消える
だれがつけたか阿里佐の渕に
春が巡れば⻩色く小さく
大和れんぎょは阿里佐の花よ

基本情報

Metadata

伝承地新見市新見/正田
詞型7777

解説

Commentary

「清三くどき」

明治三十七年九月五十四歳で死亡した小泉八雲について云々するつもりはないのだが、四十歳の彼が横浜港に着いた明治二十三年四月以降十四年間の功績については諸人のよく知ることである。その彼の残したものの中に『日本の古い歌謡』というのがある。鐘巻取歌や隆達小唄などを英文紹介したものであるが、この中にTheDittyofOkitiandSeiza(『お吉清三くどき』・平井呈一氏訳による)が載っている。これについては八雲自身「街頭の俗謡の見本」であるといい、「門つけの三味線弾きが歌う俗謡の類」とも記して、「この作の年代は詳かにしないが、古老の話によると、なんでも天保時代に流行った歌で、子供の時分に歌われているのを聞いたことをおぼえているということであった」という。

八雲の耳にしたこの口説は『清三くどき』『お吉晴三』『おふせ清三』として、埼玉県北足立郡、石川県鹿島郡・同石川郡・同能美郡、島根県能義郡阿簸川郡、広島県比婆郡などに伝わっているもので、その中心は北陸地方であったのではないかと思われる。前述の『清三くどき』は『日本歌謡集成』巻十二の島根県能義郡のものである。『俚謡集拾遺』によると、松江市の『お七吉三』が歌祭文として伝えられているので、三味線弾きの門付芸から採られたものであろう。石川県下では女万歳が来て歌ったといい、埼玉県では飴屋が歌っている。

八雲はこの『お吉清三』の他に、『三つの俗謡』として一八九四年十月日本アジア協会で、『俊徳丸』・『小栗判官』・『八百屋お七』を朗読報告しており、松江在の山の者と呼ばれる特殊部落の人々から大黑舞の詞章として聞いているのである。

また越後高田の瞽女歌に『清ざ口説』があり、彼女らが広範囲な地域に出歩いてはくどいていたことが知れ、この『清三くどき』もこうして瞽女等の旅芸人の口から伝えられて残されたものであることを知るのである。
「盆踊りくどき〜諸国音頭集〜」より


井倉洞にまつわる「阿里佐」愛と希望の物語

「阿里佐」の物語は、井倉洞とその前の清流高梁川の深淵、阿里佐淵にまつわる感動的な物語です。約400年前、茂作と阿里佐の純粋で美しい恋がヤマレンギョウの咲くこの地で花開きました。しかし、松山城主の娘である美しい鶴姫が訪れたことで、すべてが変わりました。茂作は鶴姫に心を奪われ、阿里佐を捨てて彼女を追い求めました。

しかし、この物語は悲恋だけでは終わりません。阿里佐の霊は「縁結びの神」として、多くの人々に愛と希望をもたらしています。彼女の霊は、人々が真実の愛を見つけ、幸せな結婚を果たすことを助けています。

その後、この淵は「阿里佐淵」と呼ばれるようになり、地元の人々は阿里佐の霊を慰めるために祠を設けました。阿里佐の霊は今もなお、「縁結びの神」や「悲恋をなくす恋の神」として、カップルの守り神となっています。

井倉洞の鍾乳洞出口にある「阿里佐の宮」では、今でも阿里佐の霊が祀られています。この地を訪れるすべてのカップルに幸せな結婚と永遠の愛が訪れますように。
井倉洞WEBより


てんがらこ(う)

新見全土を中心に、広島神石高原町、鳥取日野町、真庭郡新庄村などでも踊られる。「上熊谷では、動物の物真似的な踊りがつき、〜手首を回転させる振りがついていることから、天狐踊り(大宮踊)がなまったのではなかろうかというが不明である。」「日本民謡大観中国篇」より

青森県では、蝶のことを「てがら」とか「てんがら」という。大和言葉でちょうは「てんがらこ(天からこ)」鹿児島では「てんがらもん」はお利口さん。感心な子。功績をあげた人。イタズラ小僧。由来:「天からの子」説、「典雅な者」説、「手柄者」説など、諸説あります。お利口さんと、いたずら小僧の相反する意味があるのが、この言葉の面白いところです。用例:「てんがらもん」の孫だから、お小遣いをあげなきゃねー。
鹿児島弁ネット辞典より

「踊りが終わりに近づくと、テンコと呼ばれる、仮装した数名(編み笠に杵を手にした者、茣蓙【ござ】を背負い念仏鉦を手にした者、二つに折ったキュウリを手にした者、ドジョウすくいの所作をする者、擂粉木【すりこぎ】を手にした者、妊婦姿で擂鉢【すりばち】を手にした者)が登場し、観客の目を奪う。

ことに擂粉木持ちと擂鉢持ちとの男女和合を模した所作が人びとの目を引き、こういった子孫繁栄を願っての気風が踊り全体の背景に秘められている。たとえば、音頭「あおい」に「しのぶにはウワハンどてらぬこがよかろウワハンヨウ菊の下葉に夜を明かす」といったような男女間の交情を暗示する歌詞が多い。かつてこの踊りのときには、歌垣【うたがき】風のこと(自由恋愛の風)が盛んだったとのことである。」
文化遺産オンラインー大宮踊の項

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