音源

Songs

砂掻き「恋の阿里佐」

すなかき「こいのありさ」

歌詞

Lyrics

「恋の阿里佐」

作詞:大池貞治

春のそよ風井倉の峡に
そよりそよ吹きゃ可れんな花が
咲いていとしやいとしや阿里佐
大和れんぎょは悲恋の花よ
夏は⻘葉に秋あやにしき
人に知られた井倉の里に
ひなにまれなる乙女子阿里佐
年は十七引く手あまた
あまた引く手も楽しく茂作
いつか阿里佐の心を射止め
人目忍んで咲く恋の花
末は夫婦と楽しい日ごと
恋の花にも無惨や嵐
数里はなれた松山城に
蝶よ花よと育って二八
つぼりそめたる鶴姫さまが

紅葉狩りとて井倉の峡に
ちらと見初めて茂作の心
所せん高嶺の花とは知れど
消すに消されぬ凡夫の心
ある日茂作の姿が消える
阿里佐悲しや片羽の鳥は
待てど暮らせど帰らぬ人を
こがる思いに身はやつれゆき
月は三日月瀬音はむせび
山のカラスが不吉に鳴いて
恋の屍渕(ふち)えと消える
だれがつけたか阿里佐の渕に
春が巡れば⻩色く小さく
大和れんぎょは阿里佐の花よ

砂掻き 囃子 ドッコイショ (あー)ヨイヤサノサー(あ)ヨイヤサノサ

基本情報

Metadata

伝承地新見市新見/正田
詞型7777

解説

Commentary

井倉洞にまつわる「阿里佐」愛と希望の物語

「阿里佐」の物語は、井倉洞とその前の清流高梁川の深淵、阿里佐淵にまつわる感動的な物語です。約400年前、茂作と阿里佐の純粋で美しい恋がヤマレンギョウの咲くこの地で花開きました。しかし、松山城主の娘である美しい鶴姫が訪れたことで、すべてが変わりました。茂作は鶴姫に心を奪われ、阿里佐を捨てて彼女を追い求めました。

しかし、この物語は悲恋だけでは終わりません。阿里佐の霊は「縁結びの神」として、多くの人々に愛と希望をもたらしています。彼女の霊は、人々が真実の愛を見つけ、幸せな結婚を果たすことを助けています。

その後、この淵は「阿里佐淵」と呼ばれるようになり、地元の人々は阿里佐の霊を慰めるために祠を設けました。阿里佐の霊は今もなお、「縁結びの神」や「悲恋をなくす恋の神」として、カップルの守り神となっています。

井倉洞の鍾乳洞出口にある「阿里佐の宮」では、今でも阿里佐の霊が祀られています。この地を訪れるすべてのカップルに幸せな結婚と永遠の愛が訪れますように。
井倉洞WEBより


大池貞治(おおいけさだはる)作詞者

明治42年新見市生まれ。昭和22年第1回町⻑公選に立候補、39歳で当選。29年新見市が誕生、初代土屋市⻑の助役に就く。32年から正田公⺠館館⻑、新見公⺠館館⻑を歴任、新見市図書館の母体となる新見婦人会図書館を整備するなど、市の文化向上に尽くした。42年新見市教育委員となり、44年には岡山県教育功労者として県教委から表彰をうけた。47年より新見市立図書館・館⻑に就任。


砂掻き(または、さんこ)

新見市の盆踊りの中で一番軽快なナンバー。

踊りの中に足で砂(地面)を後ろに掻く動作があるためという説がある。古い型のさんこ節※から派生したのではとも考えられている。※淀江さんこ節の起源は諸説あるが、淀江は古くから港町として栄え、北前船で寄港した船乗り衆が歌う各地の⺠謡と、淀江古来の⺠謡が融合して誕生したと言われている。幕末から明治にかけて、港町淀江の酒席で大流行した郷土⺠謡で、三味線・太鼓などに合わせて賑やかに歌われ、七七七五調の歌詞は今もなお、古い調べを残している。やがて、軽快な曲のテンポに合わせて、左官さんが土壁を塗りあげる情景を滑稽に演じる仕種踊り「壁塗りさんこ」が踊られるようになり、酒席だけでなく、棟上げや結婚などの祝宴でも披露されるようになったと考えられる。その後、和傘の産地としても知られる淀江では「傘踊り」「銭太鼓」も取り入れられてきた。淀江さんこ節はお座敷唄だけでなく、盆踊り唄、子守り唄、田植え唄などもあったと伝えられ、労働歌としての側面も持つ唄と言える。
鳥取伝統芸能アーカイブス

Not Found 楽曲が再生されるのを待っています #新見 #盆踊り
00:00
00:00