
音源
Songs
千屋牛追唄
ちやうしおいうた
千屋牛追唄尺八 囃子のみ
ちやうしおいうた
千屋牛追歌女性ボーカル
ちやうしおいうた
歌詞
Lyrics
千屋牛追唄
前唄
(ハイ バーバーバーバ)
千屋の(ハイ)博労がよ(ハイ)
追い出す牛は
(ハイ バーバーバーバ)
角が高出で背が高こうて
額にちょんぼり菊のぎり
足は四びつ 組んだよで
背には恵比須のこもを敷き
それには萠⻩(もよぎ)の 油単(ゆたん)かけ
四方の角には申(さる)さげて
首には緋織(ひおり)の首玉で
東へ行けば一の宮
⻄は芸洲くいの市
南は土佐でも 讃岐でも
北は大山地蔵が市
ぎゅっとにぎった 袖の下
後唄
(ハイ バーバーバーバ)
付けた (ハイ) 値段はよ (ハイ)
負けらりょうか
(ハイ バーバーバーバ)
基本情報
Metadata
伝承地 | 新見 |
---|---|
伝承者 | 1)唄:白瀬真志 尺八:中川右汎 囃子:米谷豊彦 2)尺八:中川右汎 囃子:米谷豊彦 3)唄:梶川和子 尺八:溝尾繁山 囃子:上村勝広 |
年代 | 1982 |
詞型 | 77/7575/75 |
解説
Commentary
新見千屋の「牛追掛け唄」について
「昭和四十一年の秋、千屋牛の本場である新見市花見を訪ねたところ、現地で次のような話をきくことができた。すなわち、中国地方には、各地に残っている難し田」の変形としての「供養田植」という行事が行なわれてきた。この行事は六月の終りから七月にかけて、普通の田植が全く完了したあと、牛馬の安全と繁栄を祈り死んだ牛馬の供養として、その地区の共有田などで、「供養田」と呼ぶ祭りを行なう。この祭りの主催者は伯楽と呼ばれる獣医や博労が中心となって行ない、田の入ロには臨時の祭壇を作り、棚の上には、右に大山神社、左に牛頭天王を祀り、この間の幅二間、高さ一間半ほどの門から、飾り立てた近郷近在の牛を、神主と僧侶が祝詞と大般若経を読む間に、一頭ずつ田へ追い込み、代搔きをする。田の中では幣持ちが種々の図形に従って牛を動かす。そのあとサゲと早乙女が太鼓に合わせて賑やかに田植唄を謡って、田植が行なわれる。これが「供養田」で、この費用は、牛の所有者の寄付で賄われた。この牛を追込む際、見物人達は、牛の供養と繁栄を願って、ロ々に祝唄を謡ったのである。ところがこの地方では、祝事にはかならず「松坂」が謡われてきただけに、牛の儀式にも「松坂」が流用されたのだろう。」
日本⺠謡大観から
「千屋牛追唄」は新見の千屋の「牛追掛け唄」を全国⺠謡調に尺八伴奏をつけ、アレンジを施したヴァージョンである。岡山市におられた尺八奏者 中川右汎(ゆうはん=本名:通夫)さんと全国⺠謡歌手の唄白瀬真志が編曲したものと見られる。中唄は相撲甚句を思わせる。
この音源では、編曲されたお二人の演奏が聞ける。新見では現在もこの歌を大切に歌い継いでいる。
供養田植え
伯耆大山を中心とした、伯耆・出雲・美作・備中北部・備後北部一帯の地方は、古くから牛馬安全の神・大山智明大権現(だいせんちみょうだいごんげん)(通称・大仙さん)への信仰が盛んだった地方である。
大山供養田植は、春秋の大仙祭りとは別に随時奇特な施主が主催して、不慮の死にあった牛馬の霊を供養し、現在飼育している牛馬の安全と五穀豊穣・家内安全を祈念する大規模な祭りである。田植おどり・供養行事・しろかき・田植太鼓・お礼納めの5行事からなる。発祥年月日は不明であるが、中世にかかれた「大山寺縁起絵巻」に供養田植の絵図が紹介されているので、すでに中世には行われていたものと思われる。
保存団体 小奴可地区芸能保存会