音源
Songs
豊永小唄
とよながこうた
歌詞
Lyrics
原作:戎 一夫
添作:佐藤 吉五郎
作曲:佐藤 吉五郎
霞む山辺に 咲く山桜
村は小狭い 里なれど
粋な龍宮や 吉原格子
鳴くや鶯 谷間に聞こえ
春の豊永 明けて行く
タベ涼しい 日向の橋で
岸の白百合 霧が抱く
恋の夜風に 河鹿も鳴いて
咽ぶ瀬音に 暮れて行く
紅をさします 赤馬紅葉
月も三尾寺 戎山
霜月賑おう 鍾乳の宮で
赤い口紅 夜明かし雀
つのる思いを 抱いて行く
雪がとけます 湯川の里に
銘酒は香るよ 師走市
ほうは深山 薄紅桜
暮れの鐘鳴る 灯影はゆれて
千鳥鳴かずに 唄で行く
基本情報
Metadata
| 伝承地 | 新見豊永 |
|---|---|
| 伝承者 | 寄本安弘 |
| 年代 | 1990年代 |
解説
Commentary
佐藤吉五郎(作曲)
和音感教育の先駆者ゆかりある岡山に数々の校歌、市町村歌を残される。
職業 バイオリニスト専門 音楽教育肩書 綜合音楽教育連盟会⻑生年月日 明治35年11月21日出生地 秋田県由利郡由利町学歴 東京音楽学校甲師科〔大正15年〕卒経歴 大正15年岡山県女子師範学校教諭となる。昭和9年大阪府堺市視学に転出。18年海軍教授となり、神奈川県久里浜の対潜学校に赴任。戦後、新制大船中学校で教鞭をとり、その間、文部省実験学校として、鎌倉市玉縄小学校を指導。28年退職。著書「和音感教育」「和音感・合唱教授法」「和音を基調とする綜合音楽教育法」などがある。 所属団体 日本⺠謡協会 没年月日 平成3年9月9日(1991年)
『伝記音楽教育の証言者たち〈上〉戦前を中心に』 木村信之編著(発行元音楽之友社86発行)
「佐藤は自分の著書の中で述べている通り、彼が在職した岡山県女子師範学校の音楽教育実践での課題が、和音感教育を生み出す源になっている。」
佐藤は1939(昭和14)年11月25日、東京音楽学校において開催された「教育音楽研究大会」において「和音感教育実施成績報告」を行う26。また、佐藤は戦後その成果について次のように回想する。
(陸軍技術研究所の将校を)幼稚園へ連れていって、「この中から無作為に10人子どもを選んでくれ」といって、目隠しをしてズラッと並べて、レコードをかけたわけだ。「アメリカの飛行機の音が聴こえたら手を上げよ、聴こえなかったら手を下ろせ」と。これだけいってね。そうしたら百発百中なんだ。どうしてこれがわかるんだ、不思議だと。わかるはずがないと思うのにわかるんだな。こんなものは簡単ですよ。2オクターブ上の「F♯」なんだ。子どもはそれをおぼえているから、雑音がいくら大きくて飛行機音が小さくてもパッとわかる。そのときの子どもはかわいかったねえ。みんな目隠しされておるのに、10人が一人も間違いなしにやるんだから。
(木村信之『音楽教育の証言者たち上:戦前を中心に』音楽之友社、1986年、192-193頁)
佐藤吉五郎による幼児への和音感教育実践-岡山県女子師範学校で生まれた課題意識から-
鈴木慎一朗白梅学園大学音楽教育学
「佐藤は自ら作曲した「津山⺠謡」がコロンビアレコードより発売され、大流行した経験を持つ。
そのことから「日本人は戦慄を歌う楽しさにひたりたい」という得意な性質を持つことから、「旋律と和製を一緒に教育しなければならぬ」との問題意識を再確認したという」
1930年代以降の佐藤吉五郎主導による堺市和音感教育の実践的展開
菅道子和歌山大学教育学部